きょんちゃみ

ブタはブタのきょんちゃみのレビュー・感想・評価

ブタはブタ(1954年製作の映画)
4.5
【エリス・パーカー・バトラー著『ブタはブタ』の私訳】

インター・アーバン・エクスプレス社の職員マイク・フラナリーは、ウエストコートにある同社のオフィスで、机の上に身を乗り出し、拳を振った。一方、モアハウス氏のほうは、真っ赤になって怒り、机の反対側に立って、怒りにうち震えていた。口論は長く、熱くなっていた。そしてついに、モアハウス氏は言葉を失った。
 問題の発端が、二人の男の間、机の上に乗っていた。そう、モルモット(英語ではギニアの豚:guinea pigs)が2匹入った箱である。
「ならば、お好きなようになさってください!」とフラナリーは叫んだ。
「金を払ってこの箱を持って行くか、あるいは金を払わずにここに置いていくか、どちらかです。規則は規則ですからね、モアハウスさん。そして私、マイク・フラナリーは、規則を破ることはないのです。」
「ああ、この馬鹿者!」とモアハウス氏は怒鳴り、フラナリーの鼻先で薄い規則集の本を振り回した。
「あんた自身が持っているこの輸送料金の本、この中に書いてあるこれが読めないのか?ペットで、家庭用で、フランクリンからウエストコートまでで、正しく箱詰めされていれば、一匹25セントとある。」
 彼はその本を机の上に放り投げた。「これ以上何が欲しいんだ?これらはペットじゃないのか?これらは家庭用じゃないのか?正しく箱詰めされていないっていうのか?なんだっていうんだ?」
 モアハウス氏は怒りの表情を浮かべ、振り返って素早く行ったり来たりした。「ペット。ペットだ!それぞれ25セントだ。25セントの2倍は50セントだ。理解できるか?私はあなたに50セントを支払うんだ。」とモアハウス氏は言った。
 フラナリーは規則集に手を伸ばした。彼はそのページをめくり、64ページで手を止めた。
 「私は50セントをお受け取りすることはできません。」とフラナリーは、不愉快な声で囁いた。「ここに、それについての規則があります。それによると、「もしも職員が、二つの料金のどちらが輸送品に課せられるべきなのかについて、いかなる疑いであれ、疑いを抱いた場合には、高い方の料金を課さなければならない。受け取り人は、過剰料金についての損害賠償を請求してもよい。」とある。そして今回の場合、モアハウスさん、この私が疑っていることになる。そしてこれらの動物は、ペットでしょう。そして、家庭用でしょう。しかしですね、私はこれらが豚だということを確信しているのです。そして、私の規則は、あなたの鼻のように明白に、述べています。「豚、フランクリンからウェストコートまで、一匹あたり30セント」とね。」
モアハウス氏は頭をぶんぶん振った。「ああ、馬鹿げている!」と彼は叫んだ。「全く馬鹿げていると私は君に言っているんだ!そのルールは「普通の」豚を意味しているんだ。「ギニアの」豚のことではないのだ!」
 「でも、豚は豚さ。」とフラナリーはきっぱりと言った。
 モアハウス氏は悔しそうに唇を噛み、腕を乱暴に振り出した。「よろしい!」と彼は叫んだ。「思い知らせてやるからな!君のところの社長に、この件を聞かせてやる!全くひどい仕打ちだ!私は君に50セントを申し出たではないか。君はそれを拒んだ。50セントを受け取る準備が出来るまで、その豚を持っておくがよい。ただし、そうとも、その豚の頭の毛がたった1本でも傷ついたら、私は君を告訴するからな!」と叫ぶと、彼は踵を返して歩き去り、ドアをバタン、と閉めた。フラナリーは机から慎重に箱を持ち上げ、すみに置いた。
 モアハウス氏はすぐさまその運送業者の社長に手紙を書いた。社長は、過剰料金についての損害賠償請求は全て、損害査定部に送られるべきことになっているという旨の返事をした。
それでモアハウス氏は、損害査定部に手紙を書いた。彼が返事を貰ったのは、それから1週間後のことだった。損害査定部は、ウエストコートの職員とその問題について話し合った、と手紙に書いてきた。ウエストコートの職員フラナリーが言うには、モアハウス氏は彼に宛てて輸送されてきたモルモット2匹を受け取るのを拒んだそうだ。それゆえ、損害査定部が言うには、モアハウス氏は運送会社そのものに対する要求はないのだから、むしろ料金部の方に手紙を書くべきだという。
 それでモアハウス氏は料金部に手紙を書いた。モアハウス氏は、この件を簡潔に説明した。料金部の部長はモアハウス氏の手紙を読んだ。「はんっ!モルモットか。恐らく今ごろには餓死しているだろうな。」と部長は言った。部長は職員フラナリーに対して、何故発送が滞っているのかを尋ねる手紙を書いた。部長はモルモットがまだ元気でいるのかどうかも知りたかった。
 返事をする前に、職員フラナリーは、自分の報告書が確実に最新の状態を告げるようにしたくなった。だから彼は事務所の裏へ行き、ケージの中を覗いてみた。すると驚いたことに、モルモットは今や8匹になっていたのだ!全員が元気で、カバのように餌を食べていた。
 フラナリーは事務所に戻って、料金部の部長に、ルールが豚についてはどう規定しているのかを説明した。そしてモルモットの体調については、フラナリーは、みんな元気であったと報告した。だがしかし今や、8匹のモルモットがいて、みんな食欲旺盛なのだ。
料金部の部長は、フラナリーの手紙を読んで、最初は笑った。だが、手紙を読み返してみると、今度は真面目になった。
 「いかにも!フラナリーが正しい。たしかに豚は豚だ。私はこのことについてなんらか、公式の根拠がなければならないだろう。」と部長は言った。彼は、社長に話した。社長はこの問題を軽く扱った。「豚に対する料金と、ペットに対する料金はそれぞれいくらかね?」と社長は尋ねた。
「豚は30セントで、ペットは25セントです」と部長は答えた。「その場合、もちろんギニアの豚は豚だな。」と社長は言った。
「はい。」と部長は同意を示した。「私も同じように思います。ふたつの料金種別のどちらにも該当するようなあるものについては、当然高い方の料金が課せられるべきです。しかし、「モルモット」は豚なのでしょうか?むしろウサギではないのですか?」
「考えてみると、確かにモルモットは、むしろウサギに似ていると思うね。豚とうさぎの、いわば中間だ。私が思うに、ここで問題になっているはむしろ、次のようなことだと思うね。すなわち、「モルモットというのは、家畜の豚の系統なのか?」ということだよ。これをゴードン教授に聞いてみよう。ゴードン教授は、こういうことに関する専門家なんだ。」と、社長は言った。
そういうわけで、社長はゴードン教授に手紙を書いた。あいにく、教授は動物学の標本を集めており、南アメリカにいた。だから、教授の妻が、教授にその手紙を転送することになった。
 ゴードン教授は、アンデス山脈の高所にいた。だから、手紙が彼の元に届くまで、何ヶ月もかかった。その間に、社長はモルモットたちのことを忘れてしまった。料金部の部長も、忘れてしまった。モアハウス氏も、忘れてしまった。しかし職員フラナリーだけは、忘れていなかった。その時までに、モルモットは、32匹にまで増えていた。フラナリーは、モルモットについてどうするべきか、料金部の部長に尋ねた。
「モルモット達を売ってはならんぞ。そのモルモットは、君の所有物ではないんだからな。この問題が落ち着くまで、そのモルモット達の面倒を見ろ。」と職員フラナリーは、部長にそう命じられていた。
モルモット達には、もっとスペースが必要だった。フラナリーは広くて、風通しの良い彼らのための場所を、事務所の裏にこしらえた。
 数ヶ月後、フラナリーは今や、160匹のモルモットを飼っていることに気がついた。彼は、気が変になりつつあった。
 それから程なくして、運送会社の社長はゴードン教授からの返事を受け取った。その手紙は長くて、学問的な手紙だった。手紙の中で、「普通のブタ」は「イノシシ科のイノシシ属」である一方で、「ギニアの豚」は「パンパステンジクネズミ」であることが指摘してあった。
 それで、社長は料金部に、「「ギニアの豚」は「豚」ではなく、家庭用ペットとして、25セントだけを請求しなければならない」ということを伝えた。それから料金部は、職員フラナリーに、「160匹のモルモットをモアハウス氏へと引き渡し、1匹につき25セントを取り立てるように」と告げた。
 それで職員フラナリーは電報を送り返した。「いや、もう私が飼っているモルモットは、800匹になっているんです。この場合、800匹分取り立てればいいんですか?それともそれは違うんですか?でも、モルモットに与えるキャベツを買うために、私が払った64ドルについてはどうなるんです?」という内容の電報である。
 それからも、たくさんの手紙がやりとりされた。フラナリーは仕事場の前方、あと数フィートぎりぎりのところにまで、押しやられていた。モルモットたちが、部屋の残りの全部の部分を占めていたのである。手紙がやりとりされ続けるあいだにも、時間はどんどん過ぎていった。
 フラナリーは今や、4064匹のモルモットを飼っていた。彼は、我を失い始めていた。その時、彼は会社から電報を受け取った。それによると、「モルモットについての請求書は、間違いだった。当初の通り、2匹のモルモットについて、50セントだけ集めろ。」ということであった。
 フラナリーはモアハウス氏の家まではるばる走った。しかし、モアハウス氏は、もう既に引っ越していたのである。フラナリーは街で彼を探したけれども、うまくはいかなかった。彼が事務所に戻ると、彼がモアハウス氏を探しに出かけている間に、206匹のモルモットが事務所から逃げ出し、世間に放たれてしまったことに気がついた。
 とうとう、彼は本社から電報をもらった。その電報は、「フランクリンにある本社に、モルモットたちを送れ。」という内容だった。フラナリーは、まさしくその通りにした。するとすぐに、もう1本、電報が入った。それには、「モルモットたちを送るのをもうやめてくれ。倉庫がいっぱいだ。」とあった。しかし、フラナリーは送り続けた。
 職員フラナリーは、こうしてやっとのことでモルモットの件から解放され、自由を手に入れた。そして彼は次のように言った。「たしかに、規則は規則なのかもしれない。しかし、このフラナリーがこの運送事務所を運営している限りは、豚もペットだし、牛もペットだし、馬もペットだし、ライオンも、虎も、ロッキー山脈のシロイワヤギだって、ペットだ。そしてそれらのペットに対する料金は25セントにする!」
そして、彼は辺りを見回して陽気に言った。「まあ、ともかく、起こるかもしれなかった最悪の事態ほど悪くはない。あのモルモットたちが、もしもゾウだったら、いったいどうなっていたことか。」




【この逸話を分析すると、どのような教訓が引き出せるのか】

やはり常識が正しかった。これがこの話のポイントなのである。よく考えてみよう。「2匹のモルモットについて、50セントだけ集めろ」という最後に為された会社側の判断は、最初の常識的なモアハウス氏の判断と全く同じなのである。ということは、はじめから常識的に考えていれば、「モルモットは豚ではない」、というこの判断が即座になされたはずで、これでこの件は終わりであった。この常識の自然さは、最初の時点で、モアハウス氏だけでなく、フラナリー本人や、料金部の部長にさえ、気づかれていたはずである。なぜなら、「料金部の部長は、フラナリーの手紙を読んで、最初は笑った。」という記述があるからである。というのも、「モルモットはさすがに豚ではないよな」と、みんな薄々気付いているからこそ部長は笑ったのであるから。しかしそれでもなお、彼らは規則に従おうと固執してしまった。ゴードン教授を呼んでまで為されたこの一連の大騒動の全体を考えてみると、「鶴の一声」となった教授の学問的見解は、結局、「常識による最初の自然な判断」を迂遠な方法で裏付けていただけであった。つまり、最初の時点で、自然な常識にすぐに従っていれば、学問的迂回を経る必要さえ、なかったのである。しかし、フラナリーをはじめ会社の人間たちが、常識に反して規則に従い、「ブタはブタである(大前提)」し、「モルモットはギニアのブタである(小前提)」から、「モルモットは豚である(結論)」という「人工的論理に従ってはいるが現実的ではない空疎な結論」を導いてしまったことで、このような騒動となったのである。それゆえ「例え少しくらい規則に違反することにはなれども、自然な常識に従って行動することが、結局は最もメリットが大きいのだ」ということが、この逸話の教訓として、引き出せるだろう。
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