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空飛ぶタイヤのdm10foreverのレビュー・感想・評価

空飛ぶタイヤ(2018年製作の映画)
4.0
【お天気】

劇場鑑賞しようと意気込んでいたものの、全くと言っていいほどスケジュールが合わずに泣く泣くスルーしていた一本。ようやくDVDされたので早速借りてきました。

僕自身、今の仕事(医療関係)に就く前は、そこそこ大手ディーラーの営業マンをやっていたこともあり、プロットを見た時点で「あ、あの事件の」とピンとくる内容。
自分が勤めていた会社ではないにせよ、事がコトなだけに、やっぱり気になりましたよね、色々と。
原作も読んではいませんが知ってました。
ただ、今作はあくまでもフィクション。
登場人物の背景や会社の体質などに多少のインスパイアがあったにせよ「架空の設定」。
そう思わんとやりきれないでしょ・・・。

―――ある日、突然何の前触れも理由もないままに家族が死んでしまった。
聞けば一本で150kgもあるトラックのタイヤが突然脱輪して直撃したらしい。
不幸中の幸いと言ってよいのか、一緒にいた息子はかすり傷で済んだが、直撃したお母さんは即死だった。
警察の発表では「運送会社の整備不良が原因らしい」。
自動車メーカーの社内調査でも「自動車自体には問題なし」という結論。

・・こういう事故が起きたとき、ニュースなどで第一報を知った私たちは、恐らく「使用者の整備不良」を疑う。
「キチンと点検しないからだ」と。
そして「製品そのものの欠陥」とまでは思わない。
仮に脳裏を過ぎったとしても「思いたくない」のだ。
もし製品そのものの欠陥だとすれば、この事故は決して特別なことではなく、この瞬間もどこかで再発しているかもしれないということを意味しているから。
「個人のミス」ではなく、「最初から危険だったもの」がもしかしたらさっき自分や自分の家族の横を猛スピードで通り過ぎて行ったかもしれないという事を意味するから。

しかし、一方では「使用者の点検ミス」という一方的なレッテルを貼られ、その原因が明らかにメーカーにあったとしても、スタートの時点からマイナスで始めざるを得ない「もう一人の被害者」が生まれている。

この映画(物語)はあくまでもフィクション。
決して非を認めようとしない巨大な敵に対して「悪いのは俺達じゃない!お前らだ!」と宣戦布告。
それはまるで1滴の水で燃え盛る炎を鎮めようとでもするような気の遠くなる戦い。
しかし、その水滴は2滴、3滴と集まり、やがては大洪水となって業火すら消し去っていく。
そして高々と拳を突き上げ「正義は勝つ!」と叫ぶ。

そう、「悪いのは俺達じゃない」

この件に限らず、置き去りにされがちなのは『本当の被害者』。
「事故を起こしてしまったけど、それは車に欠陥があったから」
確かにそれはそうなんだけど、そこを争点にして話が盛り上がれば盛り上がるほど、実は物事の本筋から逸れていく。
善悪の追求はもちろん重要。
だけど、その追求の先に何があるんだろうか?
正すべきは正す。
それは当たり前。
だけど、原点に立ち返ったとき、この事件で本当に取り返しのつかないものを失った人の悲しみに背を向けてはいないだろうか。
自分達の利権や名誉を守ることが最優先になってはいないだろうか。

「あの日は、とても天気がよくてな・・・」

そう、まさかこんな事が起こるなんて誰も思わないくらいに平和な昼下がり。
何もなければ子供と手をつないで夕飯の買い物に行きハンバーグを作っていたはずの罪もないお母さんが息子の目の前で殺されるまでは・・・。
自分達は「運悪く巻き込まれてしまった」と思っている節がどこかにあるのではないだろうか?

赤松運送の社員達、ホープ自動車の全員、そしてあの家族。
あの瞬間に全ての人間が重い十字架を背負ってしまったのだ。
そう思うと「正義」を手に入れた後、彼らには一体何が残ったのだろう。

これは「正義が勝つ」という類の痛快エンターテイメントではない。
少なくともこの映画に関して言えば勝者なんて一人もいなかった。
「正義とは何か?」
正面切って投げかけてくる問いだが、実はこの映画を通して見えてくるのは「人間の弱さ」でもあった。

弱さゆえに戦う。
弱さゆえに守る。

強いものだけが勝つわけではない。
弱い者だけが常に虐げられるわけでもない。
それぞれに「守る」べきものがあり、その武器として「正義」をかざす。
しかし一番厄介なのは、時として正義が必ずしも正しいものの味方をするとは限らないという事だった。

これは別に某企業に限った話ではない。そしてあの事件をきっかけに全てが変わったとも思えない。
だからこそ彼らだけにその重荷を持たせるのではなく、私たちも一緒に背負っていかなければならないのだと思う。
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