トンボのメガネ

アナと雪の女王2のトンボのメガネのネタバレレビュー・内容・結末

アナと雪の女王2(2019年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

子供が純粋に楽しめるだけの商業アニメから脱却し、骨太なメッセージを携えた宮崎駿的な社会派アニメに完全に変貌を遂げたDisney。
そんな印象をこの映画を観て感じた。

社会派メッセージを込めたアニメを宮崎駿と表現したが、高畑勲でも富野由悠季でも別に構わないアイコンとしての宮崎駿である。

子供向けに作られた今までの安直なストーリーとは違い、この物語を見た少女達の成長した未来を真剣に考えた片鱗が見て取れる。

一見、この映画はエルサの自己実現や物語の原点回帰のようにも感じるが、真の主体はアナの成長だった。

アナは観客の少女達に投影され、成長を促されている。対して、エルサには制作したクリエイター達が投影され、子供達の未来を想う母の温もりのようなものも感じた。
これからの厳しい社会に立ち向かう上で重要なことをブラックなユーモアを交えて伝えようとしている。

アナが少女達の投影なら、エルサは少女達の母世代に向けたメッセージでもあるのかもしれない。

一作目では、
アナの無邪気で自己中心的な思考の裏には、必ず犠牲となって守ってくれている人の存在があると言うこと…
近寄ってくる男にはクズがいるから気を付けて…
最期に助けてくれるのは都合のいいヒーローではなく、自分自身で問題に向き合い、愛を持つことが大切だよ…
と少女達に助言を与えてくれていた。

そして、悩みをひとりで抱えて孤独にならないでとエルサを通して大人の女性達にもエールを送っている。

二作目となる本作では、
少女達に大人の女性になりなさい!とまるで母ライオンが子供を谷底に突き落とすかのような描写が満載だった。

事あるごとにエルサに絡みつくアナが過剰に描かれている。その姿は小さな子供が母親にまとわり付いている様子に酷似していた。
エルサを心配している裏で、それはエルサを失う恐怖からくる身勝手な振る舞いでもある。

エルサが現実に立ち向かい戦おうとすると決まって邪魔をしていたアナ、終いにはオラフと共に強制的に自立の道へと突き放されてしまう。

そしてエルサとの絆の象徴でもあるオラフが消え、本当の孤独に陥るアナだったが、そこからの立ち上がりが美しかった。

今、自分にできる事を行い、一歩ずつ前に進む。

不安な気持ちを振り払い、涙を拭いながら一歩一歩前に進み暗闇から出て行く姿を見ながら、我が子の成長を見守る母の想いにリンクしていた。

そして、国の存続ではなく人々の命を守り自然との共存を選択したアナは、社会派にとって象徴的なアイコンでもあるダムを破壊しにひとり勇敢に立ち向かう。

エルサと違い魔法を使えないアナは、1人で目的を完結することは出来ず、危うく命を落としそうになるが、そこにクリストフが駆けつけ、理由はわからずともアナを信頼し、ダムを破壊するべく共に戦ってくれる。

ここで又一つ教訓を見つけた。

国の存亡の危機を回避するべく旅にでたエルサとアナの対比として描かれているクリストフ…
一貫してアナへの恋心で頭がいっぱいの様子が非常にシュールだった。
しかし、思春期の青少年とは大体そんなもの…
これは男性にとっては苦笑いしかない非常にブラックな内容で少し驚いたw

エルサがいなくなり、初めてアナと強い信頼関係を結べたクリストフが非常に心強いパートナー(サポーター?)と変化していく。

そらでは、思春期に深い絆を得ることが出来なかった青少年はどうなるのか?やがて名誉欲にかられ、正しい選択ができなかったアナの祖父の姿へと変貌していくことも暗喩されていた。

それが悲しい結果を招いて来た今までの時代の正体であって…少年の心に突き刺さった氷の刃を溶かすことが出来るのは、寛容な愛なのだと父と母の出会いのエピソードで伝えている。

今の政治や社会システムにうんざりしている女性は男性の比ではないと思う。

立ち向かう力がないと諦めて傍観するのではなく、今の自分達にできる事をしていこう!そのヒントは沢山散りばめているでしょう?と叱咤激励をしているかのよう…

そして、子供達の美しい成長には深い愛情と時には自立と言う名の別離が必要なのだと母親達に伝えてもいるようだった。

こんなに沢山のメッセージを盛り込んで、尚且つ子供を楽しませながら魅せる技術は流石としか言いようがない。

始まったばかりのDisneyの挑戦は、脚本に進化の余地を残してはいるが、アニメーションのエフェクト表現や音楽は芸術作品と言っても良いレベル。

最高峰のクリエイター集団だから出来ること。
少女達の憧れのアイコンだから伝えられること。
今、自分に出来ることをする。
身をもって前に進んでくれたのだと…ちょっと感動してしまった。

とは言え、子供だけの為に作るアニメの商業的な限界も同時に感じさせられ、切なさも残した作品であった。