むっしゅたいやき

Adelheid(原題)のむっしゅたいやきのレビュー・感想・評価

Adelheid(原題)(1970年製作の映画)
3.8
フランチシェク・ヴラーチル監督。

本作の舞台となるのは爾来、本作で間接的に取り上げられるドイツ人追放まで、定住ドイツ人が大多数を占めたチェコ外縁部、ズデーテン地方である。
即ち、本作で出て来る"ナチス幹部及びその家族"とは、ドイツ本国から出向して来た人々では無く、この地域に代々暮らして来た人々である事を念頭に置いて鑑賞されたい。
本作の発表は1969年であるが、当時は未だドイツは統一されておらず、旧東独と間のみ『問題は無かった』とされていた時代である為、ヴラーチルのこの作品は国内で大きな物議を醸し出している。

内容に移る。
先ず本作は、戦争映画によく在るドイツ人優位の関係では無く、終戦直後である為現地チェコ人優位の関係である事が目新しい。
ドイツ人居留地から許可も得て下働きに来る娘と、館の管財人となったチェコ人中尉との間での人間ドラマである。
この二人には言葉の壁が存在し、各々独白に似た会話で物語は進む。
対立から共存へと、ヴラーチルのカメラは繊細に丁寧に、会話にならない会話を追って行くが、二人の平穏な暮らしは外界である女性の父の動向の報せ、酒飲みの警部、そしてロシア帰りの兄によって絶たれる。
これは其の儘、館=国であり、戦争に因って荒廃した国土(ここではチェコ)を建て直そうとするチェコ人及びゲルマン人、それに不必要に干渉する諸勢力と見立てる事も出来よう。
故にその行く末は、当然の如く悲劇に帰結する。

作品その物としては、前中盤が冗長であり、興を削がれた面もある。
が、朝日に佇むアーデルハイドの孤独な影が、中央ヨーロッパに於ける民族的栄枯盛衰を思わせ、妙に心に残る作品である。

尚、余談であるが、本作でアーデルハイドを演じたエマ・チェルは、私の中で『ナチス高官を演じさせれば随一』である、ハワード・ヴァーノンにそっくりである。
特に誤って掛けられたナチス行進曲に於いて彼女が見せた立ち姿、表情は真に彼と瓜二つである。
何らかの血縁関係が有るのか無いのか…、少々気に掛る点である。
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