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ザ・スクエア 思いやりの聖域のbutasuのネタバレレビュー・内容・結末

3.0

このレビューはネタバレを含みます

"居心地の悪さ"をここまで映像化できるものか、と感銘を受けた。150分もあるこの映画は、観ている間ずっと居心地が悪い。見て見ぬふりはどこまでが常識的に許されるのか、等、人間の善性についてグラグラ揺さぶりをかけてくる作品。

主人公の人物造形が素晴らしい。自らのことを善人だと信じている、ハイソでプライドが高く適当な、著名な美術館のキュレーター。演説やインタビューの機会が多く日々「芸術とは」「平等とは」を人々に語り、自分が人からどう見られるかということで頭がいっぱいな、欺瞞に満ちた男。気が向いてホームレスの女にサンドイッチを奢ろうとしたときに彼女から「玉ねぎ抜き」をリクエストされキレる、というエピソードの上手さ。自分に余裕があるときだけ施しをしようとする様子も何ともいえない。

自分が突き飛ばしてしまった少年の「助けて」の声が聞こえ続けるも、決して階下までは降りていかないシーンも凄い。気にしてないふうを装ってみたり、心配してる振りをして廊下に出てみたり。この醜さといったら。
ゴリラ男が暴走するシーンは本作の白眉。障害を持つ男がひたすら卑猥な単語を叫ぶシーンと相まって、「嫌な顔をするが自分からは動かない」「自分が攻撃されないため目立たないようにする」「安全ならば馬鹿にして笑うが安全が確保されないなら下を向いて黙る」「皆が殴るなら殴る」といった、「誰かが何とかしてくれるだろう、でもそれは自分である必要はない」という人間の醜さが浮き彫りになっていく。しかも社会的地位や金がある"上流階級"の人たちなのに。でも実際に行動した主人公はどうなったかというと、騙されてスリにあったわけで。思いやりってなんだろう、とひたすら考えさせられる怖い作り。

しかも本作ではさらに、アートとは、表現の自由とは、というテーマをそこに上手く絡めている。主人公も観ている側も、自分が元々持っていた価値観をずっとグラグラさせられることになる。

ラスト、主人公が少年に謝罪を行うことでハッピーエンドになりそうな空気を出しておいて、少年が既に引っ越してしまっていたというオチの付け方も凄い。ささいなことの積み重ね、しかし結局全て自業自得で何もかもを失った主人公は、許してもらう機会すら得られないのだ。娘たちが理解を示す姿勢を最後見せたのが微かな救いか。要するに、後からこうすれば良かったなどと自分の中で思ってやり直そうとしても、自分以外の人間にとってはそれは終わったことで確定した事実であり、やり直しなんて決して叶わないのだ。

ただ、やっぱりあまりに長すぎてしんどい。"空気"を描くことを徹底しているため、各シーンは異様に長い間をもって描かれている。次に誰が何を言い出すのか、という緊張感もえげつない。そのおかげで嫌になるくらい濃厚にその"空気"を味わうことはできるのだが、さすがにおなかがいっぱい。観終わってぐったりとしてしまった。

あと邦題が良くないと思う。てっきり感動的な良い話映画なのかと思って、暫く敬遠してしまった。逆にそういったものを求めてこれを観た人は啞然としたのではないか。勿体無い。
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