真田ピロシキ

金子文子と朴烈/朴烈(パクヨル) 植民地からのアナキストの真田ピロシキのレビュー・感想・評価

4.4
「私は今はっきりわかった。今の世では苦学なんかして偉い人間になれるはずないということを。そればかりではない。いうところの偉い人間なんてほどくだらないものはないということを。人々から偉いと言われることになんの値打ちがあろう。私は人のために生きているのではない。私は私自身の満足と自由を得なければならないのではないか。私は私自身でなければならぬ。」

この映画を観るに先立って金子文子の獄中手記『何が私をこうさせたか』を読んだら文子が社会主義思想に自分が抱いていた感情の正当性を得たように、私も文子の言葉から自身の思いを如実に言い表すものを感じた。自分の主人は自分自身でなければならない。何が良くて悪いのかを他人の物差しに委ねない。親族に都会に宗教に主義に苛まれ搾取され続けた末に確固たる自分を持った文子を、不幸であった故に世の不条理に気付き怒れるアナーキストになれた文子を私の中に生かしていきたいと思う。金子文子という人物の描写に置いては本作は大満足。

クソどうでもいい漢字二文字の発表イベントに続いて無責任戦犯王族の即位が控えている2019年のニッポンで本作を見たのには巡り合わせがあるものだと思う。何かがあった時のスケープゴートに朝鮮を用いる政治屋共の姿は今も日常茶飯事。極右政権に逆風が吹いているといつもJアラートだのレーダー照射だの徴用工だの水産物輸出だので吹き上がりますよね?ここまで見え透いた手に何度も引っかかるのは本質的に日本人が弱きを挫いて強きを助けるのが大好きな権威主義者で天皇なんて存在を許している事と無縁ではない。極右化が進むに連れて不敬罪意識が高まってて最近ではコイツらを風刺する事すら稀。日本が誇る無敵の怪獣王サンも空気を読んで皇居は避けてくださいますものねー実際の所はずーっと神輿に担がれてるだけなのに。そんな奴らに「アイツらは神なんかじゃない。クソだってするただの肉塊だ」と抹殺を唱え、「あんな奴に恩赦を施す資格などない」突っぱねるアティテュードは普通の日本人様には描けやしない。文子も朴烈も譲らない、驕った圧制者共が望む事は例え死しても悪名を被ろうとも拒んでいて、間違いなくアイコクシャから反日の誹りを受けながらも日本で配給した方々には頭が下がるばかり。

思想的には満点だが映画自体にはやや不満があってちょっと分かりやすすぎると感じた。"中立で客観的"に描けなんて言うつもりは毛頭ない。そんな物言いが権力側に添ったペテンでしかない事は分かっているし、政治家共の滑稽かつ醜悪さは今の現実に存在してるクズ共を見ると誇張してるとも思わない。しかし映画で見たこと聞いたこと以上に汲み取れるものが少なくて、強固なアナーキズムの発信としては震えるが心の奥底で静かに燃える炎みたいなものは些か弱かった。是枝裕和みたいな映画の方に魅力を覚えるようになるとどうにも水が合わない。音楽のセンチさが特に引っかかる。

出る気骨がなかったのか最初からアテにされていなかったのか日本人出演者はほとんどおらず韓国人俳優が大半の日本人を演じているが日本語レベルにはバラつきがあって、大きな役でも時々「それはちょっと無理があるんじゃ」と思わされたのが日本人故の残念さ。しかしこれが上手く機能してる点もあって、日本語の発音を判断基準に朝鮮人を殺してた自警団の日本語がとても怪しかったのがコイツらのバカバカしさを最大限に皮肉れている。肝心の金子文子が日本人じゃないのはどうなのかと危惧していたが演じたチェ・ヒソの日本語は完璧で日本で育った方なのかと思わされた程。韓国語の台詞も日本人訛りを表現しているとの事で逸材に巡り会えた。韓国語の勉強は半年以上サボらず続けているのでたまには何と言ってるか分かってそういう点でも観て良かった映画でした。

それで気分良く感想を締めようとも思いましたが一つだけ。朴烈は「嫌いなのは日本の権力者で民衆ではない」と言っていましたが一番邪悪なのは当事者意識を持ち得ない大衆だと思いますよ。自分達が不利益を被っていても「マスゴミガー野党がダラシナイカラー」で済ませる多数派に属することが目的の連中ですから。