雷電五郎

さよならの朝に約束の花をかざろうの雷電五郎のレビュー・感想・評価

4.1
ヒビオルという記憶を刻んだ布を織り上げることを生業とする長命の種族イオルフ。イオルフの少女マキアは生まれた時から両親がいなかったことにより常に孤独を感じていた。
そんなある日、神話を生きるイオルフの長命を目当てに帝国が攻め込み女性達を攫いイオルフの村から焼け出されたマキアは逃げた先で人間の赤子に出会う、というあらすじです。

映像の美しさに違わない簡素ながらも独自の世界観を持つ中世ファンタジーの作品として秀逸なできで、神話・伝説という過去として忘れさられる者であるイオルフとレナト(龍のような生物)と現在を生き常に未来へ向かい進み続ける人間という今を対比的に描き、神秘の触れえがたさと同時に人間の速度から取り残されていくことが神秘が神秘たりえる証といった、過去と現在と未来という時間の流れの中で移り変わってゆくものを描いている気がしました。

その時間の経過とともに移り変わってゆくものの最たる例が人間関係であり、親子の関係です。
エリアルをひたに愛し、母親であり続けようとしたマキアと母親としてメドメルを求めながらも子によって自由を奪われ続けるレイリアという二組の親子関係を対比しつつ、レイリアへの想いに囚われ続け自らの前進を捨てしまったクリムという三者三様のイオルフの姿が描かれます。

自分と世界の違いを知り愛する者を見送ることになっても愛することを諦めないマキア、自由を渇望し自分が何者であるかを忘れないために子への想いのみで孤独を生き抜いたレイリア、そして、レイリアへの想いに囚われ続け村を焼かれたその日から一歩も未来へ進むことができなかったクリム。
クリムは「3人の足並みが揃わないとヒビオルは作れない」と言いました。ヒビオルの横糸は人生を意味するからです。
ですが、彼がそう言った時点で既にマキアとレイリアはどんなにいびつであろうと過去にとどまらず今を生きていた。

思春期を迎え、血の繋がらない母へ女性としての好感を抱いてしまう自分に苦しむエリアルや父親に邪険にされ母親には会えず広い城で孤独に生きるメドメル、親がどうあろうと子供達もまた1人の人間である限り成長しいずれ自分自身でどう生きてゆくのかを決めていくようになる。
イオルフは彼らの早すぎる変化とはともに生きられない去り行く種族であり、子の成長を理解し引いてきた手を離して行かせてやる親でもあります。長命種と短命である人間の生きる速度の違いを親子関係になぞらえて進んでゆく物語は素晴らしかったです。

神話の生命とはいえ、彼らの自由と異能を人間が欲望のために搾取することは醜い行いとして描いているのも好きでした。
神話は神話として時の中で忘れ去られながらも自由に生きる権利がある。その自由こそがイオルフやレナトにとっての生きる意味なのでしょう。

タイトルの意味を表すのは終盤、エリアルとの別れに際してですがテンポよく進みつつ最後まで余情感あふれるストーリーで要所要所涙が出ました。

ただ、ストーリーや世界観がよかっただけに主人公声優さんのアニメ的な甲高すぎる声音がそぐわず、もう少し自然な演技の方が作品にマッチしたのではないかと唯一残念に思いました。

非常に美しいオリジナルアニメ映画でした。
雷電五郎

雷電五郎