ジャン黒糖

007/ノー・タイム・トゥ・ダイのジャン黒糖のレビュー・感想・評価

4.3
待ちに待った!延期された映画のなかでもずーっと待ち望んでいた映画!
IMAXにて観ました~!

感想を先にいうと…、叩きのめされた!!
1年半待ちに待った甲斐あって3時間弱の上映時間も自分にとっては大大大満足!
100点満点中120点叩き出した!
おそらく歴代ボンドのなかでも、カッコ付きにはなるけれど最も幸せなボンドだったなぁ!!
ただ!!それと同時にマイナス100点ぐらいの怒りもある!
きっとレビューを寝かせば寝かすほど思い返せばアラが気になって嫌いになってしまいかねない、、!
この感情、どうすればいいの?!!
です!!笑


以下、レビューは1.ダニエル版ボンドの幕引きに感動、2.思い入れの置き所によって募る不満、3.7代目ボンドへの期待、の3幕構成で書いていきますが、思い入れ深いシリーズなのでちょっと長くなります!さーせん!!!!笑


1.ダニエル版ボンドの幕引きに感動
個人的にはマイ・ファースト・ボンドにして一番見やすいバランスのボンド像はいまだに5代目ボンド、ピアース・ブロスナンと思っている。
ただ、ダニエル・クレイグ版ボンドとしての”在任歴”である2006年~2021年は、自分にとっては学生~社会人・結婚・子供誕生、と様々なライフステージの変化を経験した15年間だった。
そのため、私の年齢上、人生の半分≒ダニエル版ボンドの歴史でもあるのでどうしても一番思い入れ深くなってしまう。

そんなダニエル・クレイグが演じるボンド、と限定して観れば、かつて『カジノ・ロワイヤル』で”ジェームズ・ボンドになった”彼が、本作で”ジェームズ・ボンドとしての役目を終える”まで、連続した物語を15年かけて終えることが出来たというその一点のみにおいては、良し悪しあれど他のボンド映画では決して出来なかったことなので、主人公としてこんな幸福なボンドはいなかったよなぁ、と感動してしまった。

しかも今回は前作『スペクター』からは5年も空いて、且つその間コロナ影響による1年半の延期もあって予告編の新しいVerが出るたびにボンドは石橋から飛び降り、パロマは何度もボンドに「遅いわ」と叱咤し、ノーミはグラインダーを操縦したことをないことをボンドに言ってのけ、Mは「ボンドはどこにいった」と迷子になり、サフィンは「きれい好きなのでね」と語りかける。
予告編を観た総合計時間だけでも本作の上映時間に匹敵しそうなぐらい、私自身がこの映画を観るまではノー・タイム・トゥ・ダイ状態だった笑

そのため、映画が始まってMGMのロゴが出て、おなじみのガンバレルシークエンスが流れて、という冒頭からやっと待ち望んだボンドが観られる多幸感でぶち上がってしまい、ぶっちゃけ3時間弱という上映時間が気にならないどころか、自分にとっては完全にプラスに働いていた。
あぁ~なんて幸せな時間なのー!!!
IMAXで観るにふさわしい美しくも派手なアクション、大好きな女優アナ・デ・アルマスとレア・セドゥの美の競演、ボンドの有終の美、こんなにも”美”が揃っちゃってなに?!幸せ!?笑


この映画を見て確信したダニエル版ボンドの魅力、それは物を”捨てる”所作にあると思った。
押した爆弾スイッチを投げ捨てる、バイクを乗り捨てる、引退してゲスト扱いとなったMI6への入館証をゴミ箱に放る。
やたらと本作はボンドの"捨てる"場面が多い。
物を”捨てる”場面が多いからこそ、執着しないボンドがそれでも執着してやまない過去やマドレーヌの存在が際立って見える。
対比うめぇぇええ!そしてマドレーヌ美しいぃぃぃぃいいいっ!
レア・セドゥさん、自分的には『ゴースト・プロトコル』のころからやっぱ好きなんよな~…しみじみ。


これまでの1~5代目ボンドそれぞれ最後の主演作は、良くも悪くもマンネリに直面し、興行的にも批評的にも微妙な作品が多い。
そういった意味では『カジノ・ロワイヤル』や『スカイフォール』で興行・評価ともに高かったダニエル・クレイグ版ボンドだけど『スペクター』で少し下がって、本作で賛否が分かれて終わる、というのはある意味これまでの個々のボンド映画最終作とも連なる所があって、これはこれで正解ではとも思う。笑

そりゃたしかに冷静に考えれば、スカイフォールで終わっておけば、スペクターで終わっておけば、きれいにボンド映画を次代に繋ぐことができたのでは、と自分でも思う。
ただ、おそらく作り手もスカイフォールやスペクターで次作以降への余白を残したきれいな終わり方にシコリを感じていたんじゃないかな。

思い返せば、『カジノ・ロワイヤル』でそれこそボンドの誕生譚という長いボンド映画の歴史からすると1作限りの”型破り”でありながら、最後には”ジェームズ・ボンドになった”≒”型に戻る”姿を描き、続く『慰めの報酬』でも、直後から物語が始まるこれまたこれまでのボンド映画からすると”型破り”な始まりから、最終的には表面上は復讐を果たして任務に挑む≒”型に戻る”姿を描いた。
『スカイフォール』も『スペクター』も、これまでの物語を換骨奪胎し、最終的には”型に戻る”。

そんなこれまでのダニエル版ボンドの流れからすると、今回ボンドの物語をきちんと終えるということは、すなわち”型破り”で物語を終えるというこれまでとは逆のアプローチになるので、そりゃ賛否両論巻き起こっても仕方ない。
ただ、そんなことは作り手も承知のうえでそれでも誰の目にも疑いようなくきっちりボンドの物語を終えることを目指したのだろうな、と。


そんな、賛否起こるリスクを負ってでも描きたかったことのあらわれとして、『女王陛下の007』へのオマージュがある。
『女王陛下の007』は、007シリーズのなかでもトップクラスの異色作でありながら根強い評価も多い2代目ボンド、ジョージ・レーゼンビー唯一の007作品で、「ボンドの結婚」という、それ以前もその後も007シリーズでは描かれることのなかった"型破り"を描き、ラストには妻がスペクターに殺されて終わるという衝撃の結末で、それこそ当時賛否両論だったという。

今回の『ノー・タイム・トゥ・ダイ』では、『カジノ・ロワイヤル』で同じくスペクターに殺された、ボンドのかつての最愛の人、ヴェスパーの墓参りで物語が始まり、『女王陛下の007』で亡くなったボンドの妻への弔いにも見える。
(ただ、この場面個人的にはヴェスパーの没年は見せなくてよかったかな。。現実のタイムラインと同じ、ってことはあれから15年経ってその間スカイフォールとかもあったけど、それでもボンドまだ引きずってるの…?と若干余計なノイズが…)

また今回、エンドロールではルイ・アームストロングの「愛はすべてを越えて」が流れるのだが、この曲は『女王陛下の007』で、ボンドガールとボンドがロマンチックに距離を詰めていく場面で流れる劇中歌にも使用されていた曲でもある。
そんな様々な箇所で『女王陛下の007』へのオマージュを感じるあたり、想定されうる世間からの反発の声を押し切ってでも描きたかった最終作への、作り手の意気込みを感じた。
いやー、そりゃ感動するよ!


2.思い入れの置き所によって募る不満
ただ、上に書いた良さは同時に不満な点でもあり、それゆえ観終わって数日経ついま、この映画に対して自分のなかでもどう折り合いつけたらいいのか、非常に複雑なのが正直なところ。
そのため、以下、不満な点を①全ボンド映画史として観た不満、②ダニエル・クレイグ版ボンド史として観た不満、③この映画単体としての不満の3つのポイントでさらに紐解いて書き連ねていく。

①全ボンド映画史として観た不満
ダニエル版ボンドとして観たら良かった部分でもあるけど”ジェームズ・ボンドとしての役目を終える”姿を描くのであれば、それこそ『女王陛下の007』からのメッセージを汲み取ったオマージュならまだしも、それ以外の小ネタはノイズになるからあまり挟まないでほしかった。
たとえばノーミがジャマイカで初めてボンドと対面し、自身の○○○を脱ぐ姿は、ロジャー・ムーア版1作目『死ぬのは奴らだ』のワンシーンを彷彿とさせる。

過去作の小ネタがあればあるほど、本作でしっかり”ジェームズ・ボンドとしての役目を終える”姿を観ると、「でもボンドはお前だけじゃないぞ!」と思ってしまい、最後のお決まりの”JAMES BOND WILL RETURN”の文字を見てなんとも複雑な気持ちにさせられた。
特に、昨年10月に初代ボンドであるショーン・コネリーさんが亡くなり、彼への何かしらの賛辞とかがあれば…とも思った。

この、複雑な気持ちにさせられる締め方に観終わっても強烈に引きづられてしまうからこそ、以下②③の不満も、日が経つにつれ、悪目立ちしてきてしまうところが正直ある。


②ダニエル・クレイグ版ボンド史として観た不満
全5作に出た敵のほとんどはボンドをはじめ、誰かしらのパーソナルな因果の敵だったりして、5作目にもなれば若干食傷気味にもなる。

たとえば『慰めの報酬』はボンドの映し鏡的に復習に燃えるボンドガールの相手がボスで、『スカイフォール』ではボンドと同じくMを愛するがあまりこじれたシルヴァが敵、『スペクター』のブロフェルドもボンドへの恨みが根源にある。ルシフルも今作のサフィンも同様。

また、彼ら敵キャラの攻撃に一般人が巻き込まれることはアバンタイトルシークエンスや『スカイフォール』のロンドンパートを除けばあまり多くなく、今作を含む5作とも敵の根城で戦い終わることが多い。

このことからも、ダニエル版ボンドって予告編で感じるスケール感の大きさに比して、物語的スケール感はとても小さいものに感じてしまう。
これは正直ダニエル版ボンドが絶えず”ボンドとは”を問い直す物語が5作も続いていることの悪い意味でのスケール感に思う。

あと、そもそも007シリーズは個々の単独作品として成り立ったシリーズであり、『カジノ・ロワイヤル』が作られた当時とかは当然本作までを見越した作品となっていないため、5作を通して実は物語の根幹に関わる重要人物であるミスター・ホワイトがキャラとして薄いのはちょっと勿体ない。。
また、5作品を通じて"ボンドとは"を絶えず問い直しているわりに、実は脂の乗った全盛期ボンドを描いていないところも、このダニエル版ボンドの本質を追求した良さでもあり、異質なところでもある。



③この映画単体としての不満
ダニー・ボイル監督降板に伴う制作スケジュールの遅延、そして実質イチから作り直しとなる脚本、ということもあって、ぶっちゃけアラは否めず…。
特に、今回の事件のきっかけとなる”ヘラクレス計画”に関してはMに怒りが湧いてくる。
お前…お前のせいで…ラストどうなったかわかってんのか?!なにウイスキー片手に詩詠んでんねん!!!!(しかもこの引用言葉がなまじ、ダニエル版ボンドを言い得てるからなおさら腹立つ!、笑)
これじゃ、、まるでボンドの皮被ったスーサイドスクワッド×エンドゲームのトニー・スタークじゃないか!!
次回作では7代目ボンドがMのネタ掴んで失脚させる姿が描かれることに期待しますよ!笑

しかもこの"ジェームズ・ボンドとしての役目を終える"終わらせ方も、元来不死身なボンドからすると最後の彼の行動は若干違和感だし、加えてあのミサイルはどこが所持していた兵器かを思うとまるでこの映画が、ボンド自身の意思とは裏腹に映画の作り手側によって無理矢理終わらせられるという皮肉なメタファーにも見えてしまう。
しっかり物語を終わらせるという気概にはすこぶる感動したけれど、観終わってからもこの映画の着地を考えれば考えるほど複雑な想いを抱かざるを得ないのはそこにある。


他にも、女性キャラの活躍が好ましい本作だけど、せっかくダブルオーナンバーを持つ新キャラ・ノーミを出すのであれば最後の敵の根城で戦う場面で、それこそボンド映画らしいアクの強い副大将サイクロプスをボンドではなく、ノーミが倒す場面があった方が断然映画の印象はよかったはず。
それもなく最後、彼女は根城からフェードアウトしていく。
また、中盤彼女の”遅刻”でとんでもない事態になってしまうわりに彼女自身は偉そうな態度だし(その態度にボンドめっちゃ激オコだし)…
なので結局、彼女に関してはボンドを常にライバル視する口だけ達者な奴って印象が…。
これで次の7代目ボンドが担うダブルオーナンバーが007だったら彼女の立場はどうなん?!

そういえば『スカイフォール』のときのマネーペニーも最初こそ優秀なエージェントだったのに秘書席に収まったよな、そのわりに今回秘書っていうより参謀として作戦にガッツリ絡んでくるやん、やっぱ本音は彼女エージェントやりたかったのかな…と遡って過去作の内容さえ悪い方向に思い返され、いまの時代に描かれる黒人女性の描写としてこれはどうなの…。

Qも、今回さりげなくカミングアウトする場面があるけど、カミングアウトするわりに別にそのあとの物語でほとんど描かれないので、なんかいまどきっぽい要素を盛り込みたかったようにしかみえない。(唯一その後描かれた場面も、任務中にある人物の顔写真を見て一言…ってアホか!笑)

あと、とある人形をボンドが拾う場面も、描くんだったらせめてその人形がその後、何かしらの方法で相手の手に渡る、もしくは渡らない描写まで描いた方が感動も増してよかったのでは…。

そして敵となるサフィンの部下、副大将のサイクロプスや科学者、とある政府機関の裏切り者も、なぜサフィン側につくようになったのか、いまいちわからず。。。

というように、設定だけ用意したわりにその後活きない要素がちょっと多く目立ったので、そこは監督降板によるドタバタはあったにせよ、勿体なかったなぁと。。


ちなみに、降板したダニー・ボイル監督&ジョン・ホッジ脚本という『トレインスポッティング』コンビによる幻のボンド映画は中身を知らないのでなんとも言えないけど、ギャグ要素が多く、また#MeTooや対ロシアの政治的影響を反映した、世界をマーケットに持つブロックバスター映画としてはセンシティブな内容だったといわれている。
あくまで噂話レベルだけど、これを見るに、おそらくプロデューサー自身がダニエル版ボンドの孤独さを追求し過ぎるあまり、結果5作続いたダニエル版ボンドも、”型破り”の歴史だったわりに結果として”型破り”という名のマンネリに陥り、そして現実社会の反映に過敏になりすぎるあまり、本当に描くべきキャラクターの細部の設定が中途半端な出来となってしまった印象。

特に後者、現実社会への忖度は今後が危ぶまれるレベルで根が深い問題のように思え、近年のMCUがポリコレ意識をしっかり持って取り組んでいる姿勢と比較してしまうと、生ぬるく思えてしまう。
また、コロナというやむを得ない理由も加わったにせよ、監督降板から公開までのゴタゴタに対し、目指すべきビジョンに向けてプロデューサーとして上手く舵取りできなかったのでは、と思ってしまう。
加えて、上の②で挙げたように良くも悪くも個々の"型破り"が却ってマンネリに陥いる結果に繋がったこともあって、プロデューサー陣にシリーズを繋ぐ個々作のビジョンとそれを実現するための手腕がないのでは、とぶっちゃけ今後7代目以降にも残りかねない不安要素、問題がいよいよ今作で露呈した気がした。


3.7代目ボンドへの期待
ただ、本作『ノー・タイム・トゥ・ダイ』で描いたことで次の7代目ボンド映画以降への期待としては、上述したMの失脚と、パロマが立派なエージェントになってカムバックする共闘場面があれば今回挙げた不満はかなり払拭されるかなと思う。
アナ・デ・アルマス演じるパロマは1つの衣装、1つの場面でしか予告編に出てこないことを何十回と見て確認済みだったので、これまでのボンド映画の定石からすると完全に死亡フラグだったところ、ここは良い裏切り方されたなぁ。
彼女の出るキューバパートは全部良かった。ノーミの微妙な活躍を除けば…笑


また、ダニエル版ボンドが描いたボンドの本質が「孤独から抜け出せない地獄の連続」であるとすれば、7代目ボンドはぜひとも「組織のなかで生きる男の、自由意志を尊重した”孤独”の肯定」を描いてほしい。

やはりボンドの本質に”孤独”を追い求めすぎるあまり、”ジェームズ・ボンドとしての役目を終える”引退した姿をみると、変な意味でなく、一途な金持ち旅行好きおじさんに見えてしまうし、美しいスーツを着こなし、奇天烈なガジェットを使って戦う姿がないと凡庸なスパイ映画になってしまう。
(本作の場合、特に後半に顕著…)

そのため、次のボンドが換骨奪胎させるのであれば途方もない孤独さを描くよりも、仕事は仕事、セックスはセックスで、もっと他者との触れ合いにグラデーションを描いたボンドが観たい。

さすがにこの時代、ボンドの魅力に一方的になびいたり、情報を聞き出す役割としてしか機能しないボンドガールという存在は旧時代的な男性による性的欲求の理想像に過ぎず、現代的じゃない。
ただ、ちゃんと仕事と切り離された関係で、互いの自由意思を尊重したセックスは独身貴族のプレイボーイとしても成立すると思うし、しっかり危険な任務と切り分けて描けばそれはそれでボンドの仕事に対する緩急としてメリハリがつくと思う。
また、相手の自由意志をしっかり描くという部分は、すなわちダニエル版ボンドにおけるマネーペニーやノーミに感じてしまった女性描写の”生ぬるさ”を払拭する部分にもつながる。
(いくらなんでも今作のマドレーヌも聖母すぎるしな…)

なので、それぞれが自由意志を持った”孤独”同士の繋がりをしっかり肯定的に描くことは、ミクロ視点でみればダニエル版ボンドへのアンチテーゼとしても成り立つし、マクロ視点でみればすなわちEU離脱したイギリスと世界の関係のメタファーとしても描くことができうる。
なにより、個の尊重、孤独の肯定を描くことは、シリアスよりはポジティブ路線になりやすいと思うのでエンタメらしさも担保できる!と勝手に思っている。
なので、勝手な妄想として願わくばイギリス出身のエドガーライト監督版ボンドとか観たいなぁ…!!笑

ショーン・コネリー、ロジャー・ムーアら初期のボンドらしさはキングスマン、最新にしてエクストリームなアクションの鶴瓶打ちはミッションインポッシブル、クールなリアル路線アクションはボーン、というようにスパイ映画のラインナップが昔よりグッと増えたいま、それでもボンド映画がやれることって難しいと思うけど、そこはぜひともお願いします…!



ここまで長くなってしまったけど最後に、ダニエル・クレイグ自身に焦点をあてれば、『スペクター』のあと、もうボンドをやらないと語っていたのにそれでも本作できちんとピリオドを打ったことに対しては上に挙げたように色々言いたいこともあるけど、改めて本当お疲れ様でしたというほかない。
歴代ボンド俳優が負っていた良くも悪くも”ボンド俳優”として植え付けられていたイメージを、彼がボンド在任の間は『ドラゴン・タトゥーの女』とか『ローガン・ラッキー』とかに主演してレッテルを払拭しているかのようだったし、『スペクター』と今作の間で『ナイブズ・アウト』であたおかな探偵役を嬉々として演じる姿や本作を撮り終えて『ナイブズ・アウト2』を楽しみにしている様子とかを見て「あ、本当にボンドやめたかったのかな」と思った笑

ただ、たとえイヤイヤだったとしても本作で泥臭くも15年間のボンド人生に幕を閉じることができたことには、6代目オファーされたときの猛反発ぶり、全米脚本家協会のスト、ダニー・ボイル監督の降板、そしてコロナ、と映画の枠を超えた現実世界でも乗り越えてきたゴタゴタと重なり、本当に感動した。
不満な点はいっぱいある映画だけど、でもダニエル版ボンドとして始まりと終わりをしっかり描いたという幸福感、コロナで待った甲斐のある幸福感が勝る、とても幸せな3時間弱の映画体験でした。
ジャン黒糖

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