ジャン黒糖

ほつれるのジャン黒糖のレビュー・感想・評価

ほつれる(2023年製作の映画)
3.9
『わたし達はおとな』の加藤拓也監督作。
劇場公開当時、ポスターをチラ見しては「へー、染谷将太、門脇麦が出るような映画にオリラジ藤森も出るんだー」と適当に見間違えていた印象を抱いていたコトが大変申し訳なくなるほど!田村健太郎が凄かった!!笑

【物語】
綿子は文則と結婚して数年が経ち、生活では何不自由ない暮らしをしていたが、夫との関係は明らかに冷め切っていた。
そんな夫婦関係を埋めるように綿子は木村と頻繁に会うようになるが、ある日、目の前で木村が事故に遭う。
万一事故の事情を聞かれた時に木村との関係がバレることを恐れた綿子は見て見ぬ振りをして見過ごしてしまうが、のちに木村が亡くなったことを知り…

【感想】
同監督作『わたし達はおとな』というタイトルも様々な解釈が出来て良かったけど、本作『ほつれる』も正に加藤拓也監督の作風を一語で言い当てたような含蓄あるタイトルで良かった。

タイトルに言葉を付け足すなら、本作は「加害者性に無自覚な人たちが、衣服の"ほつれ"がそうであるように、簡単には戻せない、人間関係の"ほつれ"に目を向ける/背ける話」だと思った。

前作『わたし達はおとな』は藤原季節演じる直哉という最悪な男が際立っていたからこそ、主人公・優実の精神的苦痛が痛々しく同情を誘われた作品だったけど、考えてみたら優実自身にも脇の甘い所は多々あった訳で。
それに比べたら本作の綿子と文則の物語は、もう少しフラットに感じた。
(ただ、後述するけど文則を演じた田村健太郎さんのヤダみは最高だった!笑)

だからこそ、どちらのキャラも感情移入はしづらい距離感にあると思ったし、だからこそ本作を受け入れづらい人も一定いるだろうな、と思う。
ただ、『わたし達はおとな』でぶっ刺さってしまった自分的にはこれまた不思議なコトに楽しかった!

綿子の行動は正直文則に気付いて欲しくてやってるんじゃないか、というぐらい不信感を買うしかない外出ばかりする。
文則が「話がある」といっても「今度でいい?」と先送りばかり。
ただ、それでも綿子は"木村との不倫に興じている"とも少し違う、常にここではない何処か、に想いを馳せているかのような、まるで目の前のことから目を背けているかのような表情を見せているあたり、決して文則を貶めようと考えてはいない様子。

流石は演技派門脇麦さん!といったところなんだけど、インタビューなどを見るとあまり役作りという役作りはせず、監督の指示のまま適当なんです自分は、と語っていて、イヤイヤそれでこの実在感が生まれるあなたは本当素晴らし過ぎですよと言いたい!笑


一方の文則はそんな外出ばかり、家にいてもあまり相手にしてくれない綿子の様子を見て、当然「どこ言ってたの?」と優しく語りかける。
ただ、その語りかけからの詰め寄りが流石は直哉というほぼサイコパス的な彼氏を生み出した加藤拓也監督なだけあって、文則という一見気持ちを抑えて理性で綿子を理解しようとしているように見せて綿子を徐々に精神的に束縛し、追い詰めてしまってもいるこれまたヤダみの凄いキャラクターで、最低!(つまり映画的には最高!)

綿子との言い争いも「いまその話はしていないでしょ?」と問題を棲み分けしているようで、自分自身の問題から目を背けて相手を詰め寄る姿、くーっ!最低!(つまり略)

「黙っている、っていうことは一つの返事になっちゃうんですけど…?」「待っているよ、いま」
怖いよ〜詰め方が怖いよ〜!!!アンタ、絶対社内でも後輩に対しそういう詰め方してるでしょ!!笑

一見物腰の柔らかさと潔癖的に物事を許さない堅さと、そして自分に都合の悪い話は論点をずらしていく小狡さ!
前述の「オリラジ藤森さんだと思った」は大変失礼しました!というぐらい、もうこの一本で存在感ビンビン!田村健太郎さん、もう忘れません!!



そして物語は後半、2人が目を背けてきた過去=2人の出会い、と向き合っていくことになる。
中盤は綿子の、木村の死という目を背けてきた現実と向き合うことで綿子は文則を傷付け、心配する文則は綿子との関係=ほつれを修復しようと取る行動が却って綿子を傷つける、互いに無自覚な加害者性が発露した。
それに対し後半は、2人の出会いと向き合うことで2人は同罪=そもそもがほつれた人間関係だったじゃないか、と見え方が変わっていくのが話運びとして面白かった。
もはやどちらも互いに加害者であり被害者でもあり、終盤の長回しでの互いの加害者/被害者マウントの取り合いは『わたし達はおとな』の同じく終盤の長回しに匹敵する、胃がちぎれそうなぐらいヒリヒリとした会話劇となっていて観ていてキツい。(映画的には勿論良い意味で)

そして、そんな2人のほつれた物語のラストには明確な答えが描かれない。
木村との不倫のときでさえ、どこか遠くを見ていた綿子は次もまた見ない振りをして、文則との生活とは違うどこかに行くかもしれない。
ほつれを直そうと木村の父に会いに行ったかもしれない。
はたまた文則との出会いによって被害を受けた人に会いに行ったかもしれない。

ただ、序盤のロマンスカーの指定席や、中盤友達の英梨に乗せてもらう車の助手席と違って、ラストは自分の意思で動いている。
彼女の目線の先には何があるのか。ここは解釈が色々と出来るラストだと思った。


いずれにせよ、綿子の行動には感情移入が出来なかったけれど、でも自分が向き合わなければいけない過去と向き合うために、別の誰かが介入してくるとわかっていても衝動的に行動に出てしまうことって少なからず自分にだってあるし(かと言って浮気は流石にしないけど)、現実から目を背けて遠くに行きたくなる気持ちもわかる。
キャラの気持ちには寄り添えないけど、行動してしまう感じは理解できる。
そこが監督2作に自分的に共通する面白さだと思った。


脇を演じた役者さんたちも良かった。
木村の父を演じた古舘寛治さんは、彼独特の優しい物腰で綿子たちと話す。
でも綿子と自分の息子との関係性に薄々気付くと、態度としては変わらないけど、綿子へ伝える言葉に変えられたかもしれない現実への怒りが滲む。

黒木華さん演じる綿子の友達も、直接言葉にこそしないけれど、綿子のちょっとした仕草や言動に、薄々木村との関係をわかって、なんなら綿子に対して多少軽蔑の目もあるかもしれない。
(ただ、そんな軽蔑視を掻き消す程の文則の暴挙たるや…笑)

そして、物語において不在の人物となる木村を演じる染谷将太さん。
文則という現実のパートナーを忘れさせてくれる存在として、木村は綿子にとって自分らしさを維持できる相手としてよく合ってた。

彼がいなくなることで、もういまはいない木村と、いま一緒にいるけど距離を置きたい文則。
2人の男性とのほつれを描くにあたってよく出来てる。


いやー、加藤拓也監督。2作とも楽しかった。
もとは演劇出身でありながら、映画はちゃんと映画らしい文法、演出で描こうとする意思が感じられてGood!

強いて挙げれば、『わたし達はおとな』のエンドロールに受けた衝撃&感動に比べるとやや終盤はインパクトに欠ける、というのと綿子と文則どちらにも感情移入しづらいのが仕方ないところでもあり、勿体ないところでもあった。
あと、『わたし達はおとな』は自分にとっての人生最高に楽しかった青春でもあり、苦い思い出も多い大学生時代と同年代の人たちを描いた映画が大好物の自分としては単純に好みの差、というところもあったかな、と。
ただ、やはりめちゃ引き込まれました!次回作も楽しみです!
ジャン黒糖

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