TOSHI

タクシー運転⼿ 〜約束は海を越えて〜のTOSHIのレビュー・感想・評価

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ソン・ガンホがタクシー運転手役と聞いただけで、大体どんな映画か分かるなと思ったが、とんでもない。やはり映画は、実際に観てみないと分からない。ポスターのビジュアルからも、想像できない内容だ。韓国史上最大の悲劇と言われる、軍による市民の“虐殺”が行われた、光州(クァンジュ)事件がテーマの作品だったのだ。過去にも「広州5・18」等、光州事件を扱った作品はあるが、直接戦った市民ではなく、間接的に戦った人達に焦点を当て、独自の視点から描いているのが新鮮だ。

舞台は、1980年だ。カーラジオに合わせてチョ・ヨンピルの歌を、タクシー運転手・マンソプ(ソン・ガンホ)が歌いながら運転しているオープニングから、学生のデモ隊に道が混むと悪態をつく流れの序盤は、鑑賞前のイメージに近かった。調子が良く何も考えていないが、情に厚いという、「こち亀」の両さんがタクシー運転手をしているようなイメージである。マンソプは妻と死別し、11歳の娘と暮らしていたが、家賃の支払いを滞納している状況だ。通行禁止時間までに光州まで乗せて行ったら、10万ウォン払うという客の話を小耳にはさんだマンソプは抜け駆けし、その客を拾う。客はドイツ人のテレビレポーター・ピーター(トーマス・クレッチマン)だった。マンソプが満足に英語を話せない上に、正義感・使命感で一杯のピーターと、金の事しか頭にないマンソプは正反対で、全く噛み合わないのに笑う。

トーンが一変するのは、光州に近づいてからだ。軍人が物々しくバリケードを張り、進入を阻んでいる。光州に行けなければ金は払わないと言うピーターに、マンソプは懸命に裏道を探す。何とか到着した二人は、武装した学生達が乗ったトラックに出会す。
当時の韓国では朴正煕大統領が暗殺され、全斗煥陸軍少将がクーデターで政権を掌握し、野党の金大中議員らを逮捕し、全国に戒厳令を布告していた。軍事独裁政権から脱却し、民主化すると思ったら全く逆の事を始めたわけで、民主化を求める学生達の不満が高まっていたのだ。
大学歌謡祭に出るために大学生になったというジェシク(リュ・ジュンヨル)は英語ができ、ピーターの通訳をする事になる。二人は光州の現実に怒るテスル(ユ・ヘジン)ら、地元のタクシー運転手とも出会う。市民達は、虐待されている状況を外国人記者であるピーターに報じてほしいと歓迎する。危険だから戻ろうと言うマンソプの忠告を聞かず、ピーターは取材撮影を始める。

明らかになる、戦場のような光州の状況に圧倒される。戒厳軍が抗議をする市民に対し、殴る蹴るの暴行や袋叩きをし、実弾まで浴びせている。催涙弾の煙幕の中から、ぬっと現れる兵隊の怖さ。ガスマスクで表情が見えないまま、無言で追って来る。病院も、血まみれの患者で溢れている。マスコミ報道とはあまりに違う、光州の残酷な現実に直面したマンソプは、一人で留守番させている娘を気にしながら、混乱と恐怖のるつぼに陥ることになる。
深夜の暴動、そして報道させないためピーターを逮捕しようとする軍からの逃走のシーンが緊張感漲る。泊めてもらっていたテスルの家に辿り着いたマンソプは、ピーターを置いて光州から出るが…。政治に無関心だったマンソプの内面の変化と、下す決断。マンソプとピーターの熱い友情に感動させられる。そしてエピローグが、余韻を残す。これ程タクシーが、格好良い乗り物に見えたのは初めてだった。

ドイツ人レポーターもタクシー運転手も実在の人物だが(映画公開後に、名乗り出た息子により、運転手は亡くなっていた事が分かったという)、俳優志望のヤクザとヤクザのような俳優を描いた「映画は映画だ」や、敵同士が兄弟のような関係になる「義兄弟~SECRETREUNION~」等、チャン・フン監督の過去の作品とも共通する、正反対の人物の通じ合いを描いた人間ドラマに仕立てられていた。
どんなに衝撃的な事実でも、事実を再現しただけでは映画ではないが、終盤の展開からも、本作は史実に基づくフィクショナルなエンターテインメント作品と言えるだろう。やり過ぎでウソっぽいとも思える部分もあるが、支持したい。映画である以上は、事実から飛躍してナンボ、嘘であってナンボなのだ。史上最大の悲劇の教訓を伝えつつ、エンターテインメント作品にまとめあげた快作だ。
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