いの

ジョン・ウィック:パラベラムのいののネタバレレビュー・内容・結末

4.7

このレビューはネタバレを含みます



一点の曇りもないガラスたち。それぞれが、孤高。気高くて、静謐。カンペキな立ち姿で輝く。ガラスは、淋しいのだと、私は初めて知る。この映画において、ガラスというガラスは、ジョン・ウィックによって砕け散るために存在する。(ブレランのゾーラの姿も、ジョン・ウィックのシリーズ全編を通して思い起こすことになる。)


NY公共図書館が舞台のひとつとなっていること。トゥー子オマージュがあること(『続・夕陽のガンマン』)。この二点掌爆心拳に、やられてしまった。餌にパクっと食いついちゃった。全く関心のない映画だったのに。笑


トゥー子オマージュがあると教えてもらっていたから、あの場面では、にんまりした。ちゃんと、耳元で、銃のなんとか部分を回転させるだろうと踏んでいたらその通りだった!ヤター!あそこでの、ジョンの顔つきは、トゥー子そのもの!笑 銃の種類は、やっぱりようわからん。難しいなあ。


キル・ビルまで出てきて、それもにんまり。キル・ビルに出てきた寿司屋のあの人が演じているのかと思っちゃった。そして、途中から、彼が、変装しているタラちゃんのようにも思えてきて、二重三重に楽しくなった。


ジョン・ウィックが、ワンコに「良い子だ(a good dog)」と言う。私は、松たか子さんに「バカな子」と言われたい(映画『来る!』)と思っているけど、ジョン・ウィックに「良い子だ」とも言われたくなった。ジョン・ウィックにそう言ってもらえるなら、あのワンコと一緒に、ずっと良い子にしています!!!


ジョン・ウィックが、“ 何故そこまでやるのか?(=まだ、生きるのか?)” を問われて、記憶のことを口にする。自分が生きていないと、妻との記憶を失うから、と。
記憶!このワードが出てきて、私は、完敗した。ストーリーを追わない、映像だけを楽しもうって決めてたのに。これも、やっぱり記憶の話でもあるんだと、アタシは・・・。ブレランも、ブレラン2049も、記憶の話でもあったから。


人との出会いは、とても簡単なことだったのに、人との別れは、その何倍何十倍何百倍も大変なことだ。ともに分け合った時間、分け合った想い、それを失うことだから。分け合ったものを語り合う人がいなくなって、そして、自分だけしか、記憶を持つ者がいなくなって、そして自分がいなくなったら、全部が全部、なくなってしまう、その理不尽さ。
様々な戦い方、様々な殺し方が、もう最高で、本当に面白かった!に加えて、あの台詞。特別な映画になっちゃった。どうしてくれるんだい?笑笑


ジョナサンには、妻からの声が届いていないのだと思う。「ここらでもうよか(=あなた、じゅうぶん頑張ったんだから、もう、こちらへ、いらっしゃいよ)」という甘美な囁きも聞こえない。「あなた、まだまだやれるわよ。もっと頑張って!」と、もうこれ以上頑張れないほど頑張っているジョンに更なる追い打ちをかけるような叱咤激励も聞こえない。妻からの、何らかのメッセージが、まったく享受出来ないんだと思う。この世は理不尽だ。だから、彼は、笑顔ひとつ見せず、空を仰ぎ見ることもせず、妻との記憶を味わい尽くす時間もなく、目の前の敵と、背後の敵と、周囲720度にいる同業者と、これからやってくるであろうあらゆる敵を、確実に仕留めていくしかない。





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あー、キアヌのわんこになりたい!「良い子だ」と褒められて、鼻高々になりたい!なんなら、ハル・ベリーのわんこにもなって、敵の○○めがけて獰猛に突き進んでもいい!どっちもやってみたくなってきた!笑

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結局、1と2と、そしてそんなに観なくてもいいと言われたのに、「マトリックス」も観てから参戦。イエーイ!

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GOTのブロンみーーーーっけ👀
いや、みっけしなくてもわかる。笑
いの

いの