Solaris8

グレインのSolaris8のレビュー・感想・評価

グレイン(2017年製作の映画)
4.2
10/28 東京国際映画祭でグレインを観た。近未来のディストピアの都市で遺伝子組み換え技術を駆使した農地の穀物が原因不明の病いで死滅する。ディストピアとはユートピアの反対語で統制された社会を指す。シリア難民やクルド人問題でトルコも統制という言葉は他人事でないと思うが、日本でも会社に勤めていると内部統制という言葉を時々、耳にする。

映画では、遺伝子操作して人工的に作った穀物は、遺伝子カオス理論のM素粒子が無いため、子孫の世代で何れ、全滅すると云う仮説が立てられる。

その遺伝子カオス理論を予見して疾走した会社の同僚を探すため、ある会社の遺伝学者が、移民の侵入を防ぐ磁気壁を突破して、汚染された荒野に同僚を探す旅に出る。

汚染された荒野に行くには案内人が必要で、荒野を描く雰囲気や主人公の行為が、タルコフスキーの映画「ストーカー」に似ている。

同僚を探し出し、主人公と同僚が二人で、荒野を彷徨う事になるが同僚は土を耕し種を撒こうとしていただけのように見え何の目的で彷徨っていたのか、理由がはっきり分からなかった。

上映終了後に監督の舞台挨拶が在ったが、映画の中に時々、出てくる「息吹か、穀物か」と云う言葉はトルコの有名な詩人のユヌス・エムレが残した言葉だという。トルコというと昔、ユルマズ・ギュネイ監督の映画で赤茶けたトルコの不毛の大地を想い出すが、映画の中で、主人公と同僚が汚染されていない土を水辺に近い場所に運んで、植物の種から畑を作ろうとする場面がある。

映画の中では、ある生き物が運ぶ土の中に眠る植物の種に息吹を感じたように見え、不毛な大地に息吹を探し育むような神話的な意味が在るのかもしれないが、息吹の意味が掴めない。メッセージ性は感じる映画であるが、息吹か穀物かの意味が分からない限り、この映画の事は語れない。
Solaris8

Solaris8