真田ピロシキ

1987、ある闘いの真実の真田ピロシキのレビュー・感想・評価

1987、ある闘いの真実(2017年製作の映画)
4.2
韓国民主化運動か韓国の俳優に詳しいのでなければとっつきは良くない。警察、医者、検事、記者、民主運動家。様々な人の名前が矢継ぎ早に出てきてはそれを整理する間も顔を覚えることすら覚束ないまま局面は進んで行く。隠蔽しようとした警察による拷問致死はチェ検事言うところの駄犬の噛み付きによって露わになって行くが、検事にしたって記者にしたって何がしかの地位や力を持ったエリートであるし、噛み付く理由にはどちらかと言うとプロフェッショナルの職業意識を感じてどうにも違う。ヒーローの話を見せられているようでこの時点では硬派であるがやや接点の薄い映画だった。

それが後半部、明確な主人公格として刑務所看守のビョンヨンと姪の大学生ヨニが出てきてからトーンは変わる。ビョンヨンは影で民主化運動に加わっているものの実生活では高い地位はおろか結婚すらしていない草臥れた中年。ヨニは父に起こったことが原因で政治的な事からは距離を置こうとする普通の若者。このヨニが大学生活を楽しもうとしている時はコメディチックなとこがある。そんな人間にすら権力の暴力は分け隔てなく襲いかかるし助けるのは映画的には無名な靴屋のオバさんとノンポリであることを許さない現実に侵食される。そうしてヨニも徐々に関わらざるを得なくなりラストの大連帯へと収束していく様子は前半でチェ検事が言ってた駄犬の噛み付きと繋がる。

映画を俯瞰してみると社会の上部に位置する人間すら悪役となるパク所長を除けば多くの登場人物の中に埋没してた事に意味があったのだと思う。一握りの人間だけがいくら頑張った所で社会なんて変えられない。微力な民衆にまで伝播しなければ変化の日など来はしないのだと。実際に変化を起こした国の言う事には力がある。翻って今の我らが母国はどうでしょう。選挙にすら行かない人は元より行ってる人ですら代わりに何かをやってくれる誰かを求めていないでしょうか。