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ラジオ・コバニのくりふのレビュー・感想・評価

ラジオ・コバニ(2016年製作の映画)
4.0
【やっぱり死体がいちばん雄弁だ】

先日『ラッカは静かに虐殺されている』をみた流れでこちらも。

同じシリアで、ラッカから北西にあるコバニという街が舞台。2014~16年の撮影で、『ラッカ~』から少し前ですね。

ISによる占領から解放へ、しかしトルコとの緊張は続く…日々が綴られますが、『ラッカ~』との一番の違いは、監督も被写体もクルド人、という点でしょうか。

破壊されゆく自身の街で、仲間とラジオ局を起ち上げ毎日、情報と想いを伝える健気なDJ女子…というアウトラインを予想し、当たってはいたが…生易しいものじゃなかった。

まず、監督独りが人民防衛隊に同行して撮ったようだが、ISとの市街戦がハンパなく展開されます。

多分撮っててハイになったのでしょう。カメラが敵を捉えようと、敵の射線上に出るんですね。弾、当たるぞと焦りますが、これが本物の戦争記録なのだ、と襟を正してしまう。CGで誤魔化すのとはわけが違います。

また、瓦礫に埋まる遺体の回収記録を延々と映します。容赦ないです。黒ずんだ骨付きの肉片。殆どが人としての原型を留めていない。しかし改めて、死体こそが戦争を雄弁に物語る、と戦慄します。

映像ではわからないが途中でハッとするのが“臭い”。作業員は当然マスク姿だが、子供らしい好奇心で見に来た少年が、ずっと鼻を抑えている。腐敗臭がもの凄いのでしょう。

が、放置すれば伝染病の源ともなるのだから、それが敵の死体であっても放置はできない。作業は延々続く。『ラッカ~』にはなかったこの件は強烈に刻まれました。自分や、自分の周囲の人たちは、こうなって欲しくない。…こうはさせたくない。

…タイトルからは裏切られる、上記だけでもみた甲斐がありました。

復興に向け、二歩進み一歩下がる…ようなコバニの日々を、私設ラジオ局からの音楽と、女子DJの声が潤してゆく流れは心地よく、彼女がある転機を迎えるエンディングも爽やかでしたが、現実はそれで終わらないですからね。

劇映画的演出が含まれるも、これがドキュメンタリーである、業のようなものが、終わってもずっと尾を引きます。

そして、本作がオールクルド人映画であることに、『ラッカは静かに虐殺されている』後のラッカ事情をみた時…複雑な思いに囚われます。

<2018.5.21記>
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