一八

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドの一八のレビュー・感想・評価

1.0
「ブラックプロイテーションはファンタジーなの」
『ブラッククランズマン』のワンシーン

友達や知り合いと映画の話をすると、たまにこんなことを言われることがある。
「君、タランティーノ好きでしょ」
正直に言おう、僕はタランティーノが嫌いだ。
唯一『キルビルvol1』は(面白い)と思えるけど、『パルプフィクション』に至っては何回見ても何が良いのかさっぱり分からない。

スピルバーグ、デルトロ、そしてジョーダンテ。
昔の映画をオマージュする映画監督は多いが、タランティーノほど直接的にオマージュを盛り込む人物はいないだろう。
しかしだ、タランティーノのオマージュは表面的で底が浅い。
元ネタに対するリスペクトが少なく、その作品の中に眠る潜在意識やメッセージ性が損なわれている様に感じる。
要するにただのカッコつけと作品の私物化。
それが一番表れてしまったのがこの『ワンハリ』だ。
僕は今作を観て彼が完全に嫌いになった。

特にブルースリーの描写はいつ見ても酷い。
(昔は良かった)と過去の栄光を懐かしむ嫌味な大根役者が、過激なヒッピーをぶっ殺してハッピーエンドになったところで(だからなんだ?)ってなる。
この映画の舞台設定はアメリカンニューシネマの時代だ。
変革の時代の真っ最中である。
それなのにコイツらは一体何をしているんだ。

ブルースリーの娘シャノンリーが、この映画の中におけるブルースリーが傲慢な人として描かれたことに不満を爆発させたのを受けて、タランティーノは最終的にこんな主張をした。
「この映画はフィクション、架空の出来事だ」
いや、いくら何でも自分が作った作品に対してそれを言うか?
映画というのは製作者の意思が自ずと入っているものであり、ブルースリーの作品がそうであるように、人を突き動かしたり、何かを学ばさせたりすることができる訳。
彼の「たかが映画のワンシーンじゃないか」って考え方は本質から逃げてるようにしか思えない。
彼は本当にブルースリーが、映画が好きなのか?

今年Netflixで公開されたマカロニウエスタンの巨匠セルジオコルブッチを紹介するドキュメンタリー映画『ジャンゴ&ジャンゴ』では、真っ先にこの映画のワンシーンが導入され、タランティーノが劇中では描かれなかった下らないやりとりを説明していた。
何で映画監督の功績に迫るドキュメンタリー映画にお前の映画のキャラクターが登場するんだよ!
マジでそういうのやめろ!
マカロニウエスタンの話すると、必ずと言っていいほどタランティーノの名前がでてくるのがホントに嫌。
マカロニウエスタンは彼のものじゃない!

僕はタランティーノより、彼に食ってかかったスパイクリーの作品の方が好きです。

タランティーノをパロディしている作品にも言いたいことがある。
彼の作品は昔の映画のオマージュとパロディの塊だ。
そしてその元ネタも更に昔の映画をオマージュしていることが少なからずある。
『ワンハリ』の元ネタである『ウエスタン』が『真昼の決闘』『捜索者』などのアメリカ西部劇のオマージュであるように。
何が言いたいのかっていうと、おたくらがやってるそれは形骸化されたパロディにパロディを重ねて身内でキャッキャッしてるだけだ。
本当にそれでいいのか?
それやってたから某映画雑誌は滅んだんだぞ!

「ハリウッドは相変わらずドリス・デイとロック・ハドソンがいちゃつく能天気なラブ・コメディを作り続けてやがった。
 外では革命が起きてるってのに!」
デニスホッパー
一八

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