ぐるぐるシュルツ

旅のおわり世界のはじまりのぐるぐるシュルツのレビュー・感想・評価

旅のおわり世界のはじまり(2019年製作の映画)
4.2
自然な演技でも、自然ではない。
自然な行為でも、自然ではない。
あなたが私を見ていて、
私が世界を見ている。

〜〜〜

前田敦子×ウズベキスタン×黒沢清、という想像を超える組み合わせだけれど、友人が激推ししていただけあって、それぞれの一番輝くところが出ていたように思いました。
そして、三人の名優がそれをしっかり支える。

序盤あんまりにもナチュラルな演技と構成は、黒沢清監督の作品で光る『当たり前をかすめる強烈な衝撃』の助走のようなものと身構えていました。
けれど、ウズベキスタンの湖や風の乾いた自然の中で、あんまりにも自然なロケ風景が続き、
少し肩透かしを食らう。

「たしかに、海外旅行していてると不安とか焦りとかでわけわからなくなって、
周りの人や心を見る余裕がなくなるよなぁ」
とアッちゃんに共感しているうちに、
もしかしてひょっとしてこれがこの映画の意図なのではないかと思い始める。
異国の地で闇雲に主観に陥いる登場人物(仕事のこととか彼氏のこととか)を、
観客は客観で眺めつづけるという構図。

ロケという設定上、カメラ越しにアッちゃんが語りかけてきても、バラエティ番組を見ているかのように、
アッちゃんの声や表情は私たちには向けられていないものと感じてしまう。
けれど、中盤、あの印象的な髪を耳にかけるシークエンスを挟んでから、急激に今までのナチュラルさとは打って変わって脚色されはじめ、途端に、私たちの主観がぐいぐい入り込んでいく。
そして、それに合わせるように、
アッちゃんは歌い始める。
この瞬間、今まで、意固地にも主観に陥っていたはずのアッちゃんが、映画越しに私たちに歌いかけてくるのです。突然のすごくメタな客観。
この「切り返し」があまりにも深く心に刺さる。
黒沢清……すごい。
ただの仮想かもしれないけれど、
そこから私たちと映画の向こう側とのコミュニケーションが生まれる。

そして、この「主観と客観の混じり合い」
という大きな主題がこの作品の根っこにあって、
そこから、
「ウズベキスタンと日本人のミスコミュニケーション」「ラインと電話での彼氏と自分の距離的なコミュニケーション」「本当にヤギが求めているものと人々が求めているもののディスコミュニケーション」「歌とTVレポーターの違い」という伏線に枝分かれしていくようにも思う。

その流れからの、
最後の、
ウズベキスタンの大自然(本当に綺麗)と
不自然な『愛の讃歌』は、
本当に完璧な幕閉じ。
物語的な統一感や整合性のあるオチを期待して観る映画もよいけれど、
「これぞ」と久々に感じるような大胆な映画もよい。
映画を通してのコミュニケーションが、
しっかり心に届きました。揺さぶられました。
私の主観は、たしかに、そう感じました。

そして、それが、
外からの異邦人(=客観)としての
"旅のおわり"であって、

自分も属する者(=主観)としての
"世界のはじまり"。


うぅ、と唸らざるをえない。
凄かったです。

〜〜〜

なにげにもう一つ凄かったのは、
アッちゃんの背中。
めちゃくちゃ感情豊かな後ろ姿のシーンが多かった。すっごい不服そうな後ろ姿とか(笑)
こんなにも、背中で語る女優だったのか!!