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ブラック・クランズマンのマーチのレビュー・感想・評価

ブラック・クランズマン(2018年製作の映画)
4.6
黒人の男女2人が銃口を観客側に向ける、まるで「お前ら、目を覚ませ!!」と言うように。窓の外には燃える十字架とKKKの一味。窓枠のラインがこの映画で描かれている時代と現代の境界線。窓枠の外が映画で描かれている時代のままなのは、現代も何らあの頃と変わっていないから。結局、この映画で描かれているのは現代である。

星条旗が上下裏返り、黒と白に染まる。キング牧師のメッセージは、マルコムXの言葉は、ジェームズ・ボールドウィンの叫びや涙は現代に届いているのか。

スパイク・リーが過激上等、批判もなんのそので現代に解き放つ劇薬がここにある。
全てのマイノリティに、幸多からんことを。


【⚫️レビュー⚪️】

《“憎しみに居場所なし”》

観た後の余韻がエグい…色々考えたり、劇中で触れられている出来事や引用について知らなかったことをあれこれ調べていたら結構時間経ってた。

でもそれだけ情報量が多く、考えたり作中の内容を反芻したりすることを自然と導く社会派映画としての役割を存分に感じさせる作品であり、それと同時にエンタメ性も高いというのが何とも素晴らしい作品でした。個人的には大傑作だと思いますし、さすが巨匠スパイク・リーというべき彼の“節”が全開の作品でした。

話の内容としては、黒人新人警官が白人刑事と手を組んで白人至上主義団体であるKKKに潜入捜査をするというもの。

だから潜入捜査ものとしてのバレるバレないといった緊張感もあり、加熱する人種差別やそれを発端とする事件の起承転結もありで、非常にエンターテイメント性の高い作品でした。このエンタメ性の高さは、劇中でも触れられている所謂ブラックスプロイテーション映画群へのオマージュだと思われます。構成や最後の展開なんかはまさにそうで、そういったことをしておきながら全く古臭くなく、現代に通じる物語になっているあたりがスパイク・リーの手腕の高さだと思いますし、知性が感じられる部分でした。

そして、そこにスパイク・リー節の効いたドギツイ笑い(ユーモア)が重なっているのですが、スパイク・リーは相変わらず直球でくるので、笑えるラインと笑えないラインのギリギリのユーモアが作品のリアリティとシニカルさを高めていました。

そんなエンタメ作品として秀逸な側面を持っていながら、冒頭と最後に挿し込まれるさながら「まえがき」と「あとがき」にはスパイク・リーの主張が詰まりに詰まっていて、単純にエンタメ映画として観客が映画館で観ること“だけ”では終わらせない仕掛けにさすがの一言でした。

冒頭では過去の映画(『風と共に去りぬ』『國民の創生』)に照らし合わせながら、誰もがひょんなことから差別に傾倒したり、染まってしまったり、記号的な表現を鵜呑みにしてそれが正しいことだと信じ込んでしまう危うさや恐ろしさを説いている。著名な博士でさえもそうなってしまったのだから、一般人がいつ何時そうなってしまうかなんて分かったもんじゃない。

最後では現在の状況と照らし合わせながら、お互いに分かり合うどころか差別を助長させる大統領の誕生によって、益々分断が加速していくアメリカ社会の異常さと繰り返される歴史の怖れを説いている。この最後のドキュメンタリー的な映像が不要だと感じている人もいるようだが、過去のスパイク・リー作品なら写真や言葉の引用だけで済んでいたのに、わざわざ映像という選択をして、作品の最後に彼の主張として付け加えていることに大いに意味があるのではないか。スパイク・リーだって彼の初期作品の時点でアメリカ社会に何か変化が起こっていれば生涯をかけて人種問題に関する作品を作り続けなくてもよかっただろうし、それだけ作り続けても社会は良くなるどころか以前の状態へと後退してしまっているからこそ、怒りと願いを込めて最後にあの映像を付けたんだと思う。

『ドゥ・ザ・ライト・シング』の頃から『ブラック・クランズマン』の間にアメリカ社会は何か変化したのか…根本的に何も変わっていないのではないか…例えそうであっても、スパイク・リーは希望を失わない。プリンスの歌に、未来への希望を託す。

主演はデンゼル・ワシントンの息子であるジョン・デビッド・ワシントンが務めており、実はスパイク・リー監督の『マルコムX』で映画デビューを果たしている。今作では突然シャドウ中国武術を披露したり、電話で白人に成り切ることでKKKを罠にかけたりとなかなかお茶目な役柄で、コロラド・スプリングスの警察署では初めてのアフリカ系アメリカ人として差別を受けながらも奮闘する姿を的確に演じている。

そしてなんと言っても、私の大好きなアダム・ドライバーがこの映画には出演しており、KKKに潜入する白人刑事を巧みに演じている。ドライバーは出演作のチョイスが素晴らしすぎるし、天才肌なのかどんな役柄でも実によくハマっている。今回も今までとは似て非なる役をまた違った一面を見せながら演じていた…やっぱり凄いよ、アダム・ドライバー。

アダム・ドライバーは声に特徴があるからジョン・デビッド・ワシントンの声だとさすがにバレるんじゃない?とか、住所くらい潜入期間中は特別に用意してそこにアダム・ドライバー住まわせることできたくない?とか設定や捜査の正確さに粗い部分がそこそこある気はするんだけど、そんな甘さは払拭されるほど実話の持つ衝撃性と(脚色による)フィクションが持つ突飛でありながらも映画的な興奮(面白さ)が渾然一体となり、1つの作品として完成度の高いものに仕上がっていたので素晴らしかったと思います。

個人的には音楽がとても良かったと思いましたし、遅すぎず速すぎないテンポのおかげで一切飽きることなく作品に溶け込めたので、編集も良かったと思います。

この映画は白人と黒人の間にある人種差別問題を描いているだけに留まらない。ユダヤ人、アジア人、その他全ての人種に当てはまる物語。それは人種と人種の衝突を超え、国家間でお互いに嫌いあったり、ヘイトをぶつけ合っていることの衝突とも同義であり、決して他人事ではない。日本だってよく知りもしないで隣の国の悪口をネット上に垂れ流したり、良い部分は見ようともせずに現実で差別やそれに値する言葉を投げかけ、肩身の狭い思いをさせている。また、これは逆も然りで、隣の国から日本への矢印もそう(同じ)。こんなことでは一向に解決の糸口なんか見つからないし、見つかるわけがない。音楽や映画などの文化ではお互いに尊重し合って繋がれているのに、政治となると直ぐに冷静じゃいられなくなる。過去を引き合いに出していては未来は変えられないのではない。過去に倣う、もしくは過去を戒めとすることで未来は変えられる。今作でのフェリックスや『否定と肯定』でのある学者や日本の某クリニックのYES YES言ってる医者のように、ホロコーストを未だにユダヤ人のでっち上げだとする信じがたい人もいる。そんな奴らとマトモに張り合っていてもしょうがない。その間に未来への投資をしておいた方が、社会はもっと輝かしいものになるのではないか。

ちょっと拡大解釈かもしれないけれど、そういう部分をスパイク・リーはこの映画であぶり出していると思う。全ての人種、全ての人々に当てはまる広義的な話。我が身のこととして受け止めよ、というメッセージはラスト数分のエピローグに詰まっており、それを不要だと否定して社会が変わるかと言えば現状を見れば変わっていないのは明らかではないか! あそこにスパイク・リーの本気の怒りがこもっている。だってお前ら「あー、いい映画だった〜」で終わって、1年後には忘れてるじゃん!!という。

スパイク・リーにそうさせるまでに至った不寛容な社会への彼なりの鉄槌を見た。だがスパイク・リーはまだ希望を感じている。未来を信じている。彼が本当に心の底から絶望して悲観的になる前に、何かしら大きな変容が訪れることを祈るばかり。彼はまだ、社会を見放してなどいないのだから。


【p.s.】
冒頭に“知らなかったことを調べたりした”と書きましたけど、調べた中でも「ジェシー・ワシントン リンチ事件」は想像を絶して思わず吐き気を催すほど強烈な現実に起きた事件だったので、この機会に知れて良かったです。人間の所業とは思えない非人道的な事件内容に心を食い破られるようでした。知っておくべきアメリカの歴史だと思うので、気になった方は検索してみて欲しいのですが、かなりショッキングな画像が出てきたり事件内容なので、それを理解した上でお調べ下さい。


【映画情報】
上映時間:135分
2018年/アメリカ🇺🇸
監督・脚本・製作:スパイク・リー
製作:ジョーダン・ピール 他
脚本:デヴィッド・ラビノウィッツ
ケヴィン・ウィルモット
チャーリー・ワクテル
原作:ロン・ストールワース
「BlacK Klansman」
音楽:テレンス・ブランチャード
出演:ジョン・デヴィッド・ワシントン
アダム・ドライバー
ローラ・ハリアー
トファー・グレイス 他
概要:第71回カンヌ国際映画祭でグランプ
リを受賞した実話に基づくドラマ。
1970年代末のアメリカを舞台に、2
人の刑事が過激な白人至上主義団体
KKKに潜入捜査する姿を描く。
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