ぐるぐるシュルツ

ブラック・クランズマンのぐるぐるシュルツのレビュー・感想・評価

ブラック・クランズマン(2018年製作の映画)
3.9
どこまでそっちの立場になれる?
改めて溝を深める拒絶か、
改めて気づかされる共感か。

〜〜〜

黒人警官がKu Klux Klanに偽装潜入するという実話に基づくストーリー。
割とコメディ・エンタメ要素や
スカッとする勧善懲悪感で
包んでいるところはあるけれど、
人種差別(黒人やユダヤ系)、
それが引き起こす蛮行とデモ、
なかなかどぎつい主題を
映画という手段を存分に使って
強烈に視聴者に刻み込んできます。

劇中では、
ヘイトが募る現場に「潜入する」という設定のおかげで、
図らずも被差別側に対して
徹底した差別側目線が強要されることとなります。
そのギリギリの忍耐戦に
ハラハラさせられると同時に、
どちらが本当に「差別しているのか」わからなくなってくるという捻れた感覚を覚えました。
これは、2人の主役の中でも芽生える戸惑いや迷いの追体験なのでしょう。

そして、やはり印象的な演出は、
終盤の怒涛の演説バトル。
白い力と黒い力。
また、
なぜか執拗に映し出される黒人達の顔、
怒りの顔。
最後の現実に延長させるドキュメント映像。
そして、『國民の創生』。

数年前に、この『國民の創生』の一部を鑑賞したことがありますが、KKKのような白装束仮面がヒーローの如く現れるシーンは、たしかに場違いに奇妙な印象を持った記憶があります。

この作品では、
当時の所謂マスメディアであった『國民の創生』が偏った差別感・国家感を国民に植えつけたように描かれています。
つまり、映画を通して「映画」自体を真っ向から批判しているのです。

しかし、ただの批判だけに留まらないのが今作の魅力でしょう。
差別を植え付ける「映画」を否定しながらも、逆にその「映画」を用いることで、
視聴者に対して、差別が孕む歪な対称性を叩きつけている。

やっぱり、軽く見せかけて、
なかなかどぎついことをしていますね……。

マイノリティやテロリズムなど、
現代社会で顕在化してきた、
全ての問題に根付く「不理解と憎しみ」。

まさに毒を持って毒を制してみせるんだ、という試みを感じた映画でした。
最後のシークエンスは、ある意味で「映画」のルールを破るぐらいの、切実な願いであったように思います。