どこまでそっちの立場になれる?
改めて溝を深める拒絶か、
改めて気づかされる共感か。
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黒人警官がKu Klux Klanに偽装潜入するという実話に基づくストーリー。
割とコメディ・エンタメ要素や
スカッとする勧善懲悪感で
包んでいるところはあるけれど、
人種差別(黒人やユダヤ系)、
それが引き起こす蛮行とデモ、
なかなかどぎつい主題を
映画という手段を存分に使って
強烈に視聴者に刻み込んできます。
劇中では、
ヘイトが募る現場に「潜入する」という設定のおかげで、
図らずも被差別側に対して
徹底した差別側目線が強要されることとなります。
そのギリギリの忍耐戦に
ハラハラさせられると同時に、
どちらが本当に「差別しているのか」わからなくなってくるという捻れた感覚を覚えました。
これは、2人の主役の中でも芽生える戸惑いや迷いの追体験なのでしょう。
そして、やはり印象的な演出は、
終盤の怒涛の演説バトル。
白い力と黒い力。
また、
なぜか執拗に映し出される黒人達の顔、
怒りの顔。
最後の現実に延長させるドキュメント映像。
そして、『國民の創生』。
数年前に、この『國民の創生』の一部を鑑賞したことがありますが、KKKのような白装束仮面がヒーローの如く現れるシーンは、たしかに場違いに奇妙な印象を持った記憶があります。
この作品では、
当時の所謂マスメディアであった『國民の創生』が偏った差別感・国家感を国民に植えつけたように描かれています。
つまり、映画を通して「映画」自体を真っ向から批判しているのです。
しかし、ただの批判だけに留まらないのが今作の魅力でしょう。
差別を植え付ける「映画」を否定しながらも、逆にその「映画」を用いることで、
視聴者に対して、差別が孕む歪な対称性を叩きつけている。
やっぱり、軽く見せかけて、
なかなかどぎついことをしていますね……。
マイノリティやテロリズムなど、
現代社会で顕在化してきた、
全ての問題に根付く「不理解と憎しみ」。
まさに毒を持って毒を制してみせるんだ、という試みを感じた映画でした。
最後のシークエンスは、ある意味で「映画」のルールを破るぐらいの、切実な願いであったように思います。