みかぽん

存在のない子供たちのみかぽんのレビュー・感想・評価

存在のない子供たち(2018年製作の映画)
4.3
その日暮らしが精一杯で、先々の生活などイメージ出来ない。せいぜい前方50センチ先を意識するのが関の山。結果、毎日はその場しのぎの選択となるこの両親に、子供達の日々の生活はおろか、幸せな将来を想像し、それを果すための努力など望めるはずもない。
いつも不機嫌でキレやすく、子供はいつしか無事な一日をやり過ごすための道具になり、その扱いは家畜と変わらないのだ。

だから主人公のゼインは日々、身も心もヘトヘトだ。彼はまだ12歳の子供なのに!(しかもこれは暫定の年齢)。
〝暫定〟の理由は、彼の両親は彼の出生を役所に届けてなく、よって彼の存在を証明出来るのはこの無知で無責任な両親でしかないのだが(すみません、状況を理解したところで腹が立つので)しかも、あろうことか、出生の年月日すら記憶していないと言う有様だ。

人としてこんな扱われ方があってよいのか⁈ と早々に茫然とし、次いで沸々と怒りが込み上げた。
おまけに大好きで心の拠り所でもある彼の妹は大人になり始めており、それを家主で雑貨屋の男が虎視眈々と狙っていることにも日々防衛線を巡らせ、油断ならない状況として対峙している。更に悲惨なのは、前出の頼りにならない両親は、娘を守るどころか家賃の肩替りに差し出す算段でいるのだから、ゼインの不信、怒り、絶望は察するに余りある。

本作は、貧困、虐待、児童婚に加え、後半は移民の不法滞在にも切り込んで行く。
力の在るものが根こそぎ搾取し、弱者がなけなしの手持ちと未来までもを差し出す。この不幸の連鎖の原因の根本は、何をどうすれば一掃出来るのだろう。

ラスト、我々は主人公のゼインにしばし安堵する。見出された未来への第一歩に伴う、彼の子供らしいその綻んだ笑顔に!(彼にしてみれば、その日はアポロ月着陸の一歩にも匹敵だ)
しかし改めて一度も微笑むことをしなかったそれまでの彼の日々を思い返し、同じように今も声を持たないままでいる大勢の忘れ去られた子供達に思いを馳せて、直ぐには椅子から立ち上がれないままだった。

追記) 主人公ゼインこと、ゼイン・アル=ラフィーア君のその後を調べてみた。彼は内戦の悪化から家族でレバノンへ逃れたシリア難民の子供であった。
本作品で見出されたことで、カンヌ国際映画祭上映後の2018年8月、ノルウェーへの第三国定住が承認され、家族とともに移住が決定したそうだ。
今頃はノルウェーの空の下、就学の機会を得ているのだろうか。
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