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愛すれど心さびしくのninjiroのレビュー・感想・評価

愛すれど心さびしく(1968年製作の映画)
4.4
愛しても、愛しても、伝わらない。

知った風景、知らない場所、すれ違う人、愛する人、何処でも誰の前でも構わず変わらず愛を抱く人はいつも弱い。
弱い立場に甘んじながら誠実に、同じく弱い人を愛する。
しかし愛しても、愛しても、言葉は足りない。

主人公シンガーは聾唖の男。話すことも聞くことも叶わないが、読唇と手話、筆記で人と意思を交換する。
彫金職人として堅実に生計を立て、同じく聾唖者で知的障害を持つ男アントナパウロスと二人、小さな貸間で互いに心を通わせ慎ましく暮らしていた。
しかし社会一般の決めたルールに則り外れることのない者にとって悪意なきトラブルメーカーでもあるアントナパウロスは、彼に手を焼く近親の者により半ば強制的に施設に入所させられることとなり、シンガーは彼を引き取り再び共に暮らす為、自身を公に法定後見人として認めさせる手続きを弁護士に依頼する。
その手続きが満了するまでの間、せめて出来る限り近くでアントナパウロスを見守ろうと施設の近隣に居を移す為、暮らした街を出て新しい土地で下宿探しをするシンガー。見付けた先は、元来中流家庭ながら父親が腰を悪くし働けなくなったことから収入を絶たれたケリー家の2階、元は長女に与えられていた部屋であった。

皆、それぞれに事情を抱え、貧困に、思うに任せぬ日常に、謂れなき苛烈な差別に苦しみ喘ぎ、与えられて然るべき権利や自由を求めて伸ばした手は空を切る。そして皆、その虚しさ、苦しみをシンガーにだけは伝える。何故ならシンガーだけがそれらの言葉を真に理解しようと努めるからだ。
人から発される言葉の聞こえない彼に、人はそれと知りながら構わず話し続ける。彼は話す人の唇の動きを見つめ、眼を見つめ、心を見つめ、真意を理解する。もっと言えば、実際に彼らが発する言葉の意味以上のものをそこから汲み取ることができる。
しかし、彼の心を真に理解しようとする人は居ない。あれほど彼に見つめられ心を救われた者の中にも、時に手話や身振り手振りで必死に意図を伝えようとするシンガーとの間のコミュニケーションの溝を進んで埋めようとする者は無く、今度は彼から渡されたメモに書かれた文字情報以上のものをそこから見つけようとはしない。そのただの文字を読むために彼の眼から眼を逸らし、一連のコミュニケーションは強制的に中断する。
その間もシンガーはじっと静かに眼を覗き込んでいることに、彼らは一向に気付かない。

シンガーにとってアントナパウロスは唯一人の拠り所であり、「対話」の叶う相手であった。彼らが交わす手話での対話の中でのみ、普段健常者の前では慎重で冷静な姿勢を崩さないシンガーが見せる喜怒哀楽、子供のような感情の迸り、その美しさを見よ。
しかし冒頭、施設へ送られるアントナパウロスを乗せて走り出すバスを追いかけ何時までも見送るシンガーに対し、彼の姿が自身の眼中から消えた途端に目の前の菓子を貪るアントナパウロスの無邪気な姿は、滑稽なようで実に残酷なシーンである。

言葉は諍いに乗せて、誰かの意見を・誰かの都合を只管に忙しく申し渡すだけで、もどかしいその気持ちを伝えることは出来ない。
その欠片は例え伝わっても、いつでも誰かの都合に合わせて消費される。
初めから約束され、誰にも知られることのない深い絶望は永遠に癒されない。

愛を抱く人はいつでも弱い。
何故なら我々が彼をそこへと追いやるから。

これは、「優しさ」についての物語である。
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