こなぱんだ

永遠に僕のもののこなぱんだのレビュー・感想・評価

永遠に僕のもの(2018年製作の映画)
3.5
一言で言うと「非常によく出来た映画的な伝記物」という感じ。

監督、とにかく主演の男の子に惚れ惚れしてるんだな~~とこちらに思わせるほど、主演の男の子が美しく、魅力的に撮られてます。それとこの映画が「映画的」に面白いこととは別です!

色んな説明をカットし(なぜ主人公が昔少年院にいたのかとか、彼女いるのに結局ゲイなのか?とか、なぜ相棒を殺すの?とか、最後どうして罠だとわかっていながら電話で居場所を伝えるの?とか……)、ひたすら音楽と雰囲気の映像、たまにブレッソンを思わせる手元のショット、そして主人公の魅力で成り立っている映画。
ちなみにだけど、やっぱり「アガる」ような音楽をシーン中にかけまくるのはドラン以降の映画な感じあるよね。音楽がフレーム内と外(嫌だけどこういう言い方しかない)を行き来しまくるのも、ドランぽかった。

非常に面白く興味深いカットが多かっただけに、もう少し「映画的」な構造として面白かったらなにも言うことないのに~~!!と、ひたすら期待し続けて見ていました。

以下、面白かった点をちょこちょこと。
・主人公、めちゃくちゃライトに人を殺すんです。そして、ここの面白さはあまり「死」の描写に秒数をかけないこと。普通、映像では誰かが殺されたように私たちに見え、その死体を後ほど発見する誰かがいて、その誰かが驚いたり何かしがの反応をすることによって、初めて登場人物の像は「映像的に死ぬ」ことが可能となります。この映画においては、その「映像的」な手順を一切踏まない。
さらに言えば、殺した後に主人公は相棒に「これは冗談だよ、嘘なんだ、こいつらは死んでない」とまで言ってしまう。そこがこの映画のめちゃくちゃ面白いところで、どう考えても目の前で血を流しているのに、寝ているようにも見える死体に対して主人公は「嘘だよ」なんて言ってしまう。このようなシーンがちょこちょこあるんですね。

・例えば主人公がミゲルをバーナーで焼くシーン。これ、カメラに向かって焼くショットで、このショットミゲルの「主観ショット」のようにも見えるんですけど、前のカットでミゲルは目を閉じて死んでるんですね。ここで主人公が焼いているのはミゲルではなくカメラ。だから、捕まる時に「ミゲルを知っているか」と聞かれて「知らない、誰?」「バーナーで焼いただろ」
と言われて首を傾げてキョトンとしてしまうのにも、一理ある。

・ブレッソンのラルジャンにおける手のショットと同じように、この映画にも手のショットが頻発します。ですが、この映画の場合、毎回「何かを割る」ショットです。カメラのある方向とは反対方向に何かを割ることもあれば、カメラの方向に向かって何かを割ることもある。割る、というより、穴を開けると言った方が正しいか。そして、バーナーでも焼こうとする、ガソリンもかける、でもカメラは主人公の前に存在し続ける。捕まって、何もできることがなくなって主人公はカメラが近づいた時に泣く。

それでも、主人公は最後の長回しで音楽に合わせて踊り続ける。カメラに向かって。(構図も踊りもファーストカットの反復ですね)「カメラがそこに存在し続ける」というそもそもの映画のシステムに抗えないのであれば、「生きてるんだもん、楽しく過ごした方がいいよ」という主人公の言葉通り、カメラに向かって挑発しながら踊り続けた方がいいのかもしれない。その意味で、最高の主人公であり、道化であり、泥棒で、芸術家なのだ。
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