nn

マチネの終わりにのnnのレビュー・感想・評価

マチネの終わりに(2019年製作の映画)
3.7
原作は読んでおりません。
予告を見たりするに「たった三度会ったあなたが、誰よりも深く愛した人だった」とあります。
たった三度!!!???
すぐに思い出すのが「マディソン郡の橋」です。
若い頃に見たこの映画は、純愛というのか、本当の愛というのか、とにかく絶賛されました。
が、ワタクシにはわかりませんでした。今も良さがわからない。
恋愛映画というものが好きじゃないんだと思います、今さらですけど。
「マチネの終わりに」は、綺麗な映画でした。
福山雅治氏に石田ゆり子さんだし、パリだし、ニューヨークだし、ギタリストだし、ジャーナリストだし。
原作がしっかりしたものだから、好き嫌いは別として、セリフに重みがあって、力があって、見応えのある映画でした。
『人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。』

恋愛の形として、「一目惚れ」も「略奪愛」も「不倫」も「焼け木杭」も好きではない。
恋愛話に関しては、何年か後の「あの時は・・・」と語られる言い訳も誇らしげな武勇伝も嫌いだ。
その時言えなかったことは一生黙ってろ!と思う。
それは、話されることによって過去が変わるからということだったのか。

ギタリスト蒔野(福山)とジャーナリストの洋子(石田)は出会った瞬間から強く惹かれ合う。
パリ在住の洋子には婚約者(伊勢谷友介氏)がいるにも関わらず蒔野は告白し、洋子も身辺整理をして東京へ逢いに。
しかし、ここで蒔野にトラブルが生じ迎えに行けない。
蒔野に思いを寄せるマネージャーの三谷(桜井ユキ嬢)は、トラブルに乗じて二人の中を裂く工作をする。
月日が流れ・・・蒔野と三谷は結婚し娘もいる。
一方、ニューヨークの洋子も以前の婚約者と結婚して息子がいたが、夫には愛人がいて、結局のところ彼は妻の結婚前のいざこざを許せていなかったのだ。
洋子は離婚し、息子も奪われ・・・
そこへ蒔野の妻になった三谷が現れ、あの時の画策を全て打ち明ける。
もう、ワタクシの嫌いな世界のてんこ盛り。
でも、どの人物のことも好きではないけど、どの人物の人生も重いのは確かである。

  ベートーヴェンの日記に、『夕べにすべてを
見とどけること。』っていう謎めいた一文が
あるんです。(中略)
  展開を通じて、そうか、あの主題にはこんな
ポテンシャルがあったのかと気がつく。
  そうすると、もうそのテーマは、最初と同じ
ようには聞こえない。
  花の姿を知らないまま眺めた蕾は、
知ってからは、振り返った記憶の中で、
もう同じ蕾じゃない。
  音楽は、未来に向かって一直線に前進するだ
けじゃなくて、絶えずこんなふうに、
  過去に向かっても広がっていく。

これは、原作の蒔野の言葉をひいてきたものだが、映画ではこれを三谷が言ったんじゃなかったかなあ。
この言葉を思い出したくて検索していたら、丸々「マチネの終わりに」を読めるサイト(平野啓一郎氏のnote)を見つけ、ところどころを飛ばし読みしているうちにとりこになる。
いやあ〜面白い。
映画を入り口とするのは間違いじゃないけど、これは絶対原作を読むべき作品だと思う。
言葉が、文章が、とても良い。
もし、映画だけを見て、そのまま帰宅したら、「綺麗な恋愛映画だったわ」で終わっていた。
しかし、映画の後、娘とパエリアなんぞ食べながら感想を言い合う。
原作を読んでる娘は、ワタクシよりもっと深く理解しているから、感想戦が膨らむ。
そして、今、少し原作をつまみ読みすると、この物語がとても深い人生の物語だ。
ということで、今、原作を読み始めている。
nn

nn