@シネ・リーブル梅田
新旧含め年間ベスト候補。ベトナム戦争の残酷さ悲惨さを語る以上に無関心な自分がいかに残酷なのかを突き付けられた。戦争や暴力・独裁政治への抵抗に関する映画を観てもやもやしていた気持ちの殆どが言語化・映像化されていた。
人は自らに影響がない(と思い込んでいる)世界にどれだけ関心を持ち続けられるかという問い掛けと、戦争を正当化する理由付けが語られるシーンが脳にずどーんと刺さった。
モノローグや解説ではなく、セミドキュメンタリーの中で人と人との対話で語られる言葉を通しての問題提起という手法、ミュージカル風の反戦歌(音楽めちゃくちゃ好みのやつやった)、実際にあったあの焼身自殺の映像と遺された家族の気持ち、決してスマートではない混沌とした語り口で、時に第四の壁を破って直接わたしたに訴えかけてくる言葉と目線と映像は、傍観者であることを、当事者ではないことを逃げ道にしているわたしをどんどん追い詰める。
今日のわたしは知ろうとしている。今日のわたしはめちゃくちゃ考える。
明日のわたしよ、考え続けるのか?関心を持ち続けるのか?抗議の炎の意味を、無意味に奪われた命を、政治を、戦争を。
人は二つの世界に対峙している。一つは自分に直接関わりのある世界。一つは自分に直接関わりのない世界。無自覚こそ罪であり、その罪はいつか自分に罰を与える。このままだといつか関わりのない(と思っている)世界に殺される。もう逃げられない。