だいすけ

砂塵のだいすけのレビュー・感想・評価

砂塵(1939年製作の映画)
3.5
例によって、ジェームズ・スチュワートが善良な市民を好演。

冒頭、活気に満ちた酒場は、いかにも低俗な印象を植え付ける。酒や賭博は序の口で、イカサマや汚職、果ては殺人まで黙認される始末。酒場で幅を利かせるフレンチー=マレーネ・ディートリッヒは、歴としたアバズレだ。そんな野放図な町に、マイペースでどこか品の良いデストリーが赴任し、新風を吹かせる。始めこそ舐められていたデストリーだが、持ち前の度胸で見返していく。フレンチーもまた、彼に引き寄せられるように、品の良い女になっていく。周囲の人間がデストリーのペースに乗せられていく様は見ていて爽快。「ある友人は〜」という口癖の反復が生むリズムも気持ちいいものだ。

本作を観て驚いたのは、女性同士の本格的な取っ組み合いが映されていることだ。マレーネ・ディートリッヒがあられもない姿で「女子プロレス」を披露してくれる。こうした女の喧嘩が示唆するのは、女性のたくましさではないか。本作に登場するのは、おしとやかとは程遠い、図太い女性ばかりだ。自らの主張を曲げない女性像は、フェミニズムの思想と通じるところがある。終盤のシーンにおける女性たちの行進も、フェミニズム運動を連想させる。しかし、一概にフェミニズムを賛美しているとも言い難い。本作における「強い女性」の代表格であるフレンチーは、「デストリーの女」になる道を選ぼうとした。何より、ラストシーンの「関白宣言」が、アンチ・フェミニズムの表れのように見えてしまう。

デストリーとフレンチーが相手を変えては再び手を取り合うダンスシーンは、会話の中断と延長によって緊張感を増幅させる。それに留まらず、男女間の慕情の揺らぎを表現しているようで憎い。
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