幽斎

サンセットの幽斎のネタバレレビュー・内容・結末

サンセット(2018年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

ホロコーストを描いた「サウルの息子」でカンヌ映画祭グランプリ、アカデミー外国語映画賞を受賞して時代の寵児に成ったNemes Laszlo監督待望の2作目。監督はハンガリーの巨匠で代表作「ニーチェの馬」Tarr Béla監督の下で助監督を務めたが、師匠は長回しの演出で知られる。映画=アートの姿勢はフィルムの質感を大切にする撮り方にも表れ、師匠はデジタル撮影を拒否し引退した。受け継ぐ監督もフィルムに拘り、セットもCGを廃して20世紀初頭のブダペストを再現。監督はサウル以降、ハリウッドから歴史大作を数多くオファーされたが、自国の映画の発展を鑑み、出身地を舞台にした本作を作り上げた。

時は1913年、ハンガリーはオーストリアと同君王国として栄えた。君主はあのMarie-Antoinetteの実家で有るハプスブルク家。遡る事5年前、オスマン帝国の革命を突いてボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合。この強制併合は宗教観の違いから21世紀の今でも大きな禍根を残した。そしてFranz Ferdinand皇太子とSophie夫人で有名な「サラエボ事件」が勃発。本作は歴史劇と言うより創作劇として観た方が賢明。イリスの視点は帝国の崩壊と言う歴史にワープした「現代的価値観」の視点とも言える。タイトルのサンセットは、帝国の「日没」を意味する。

主人公視点で謎に翻弄されるスリラーと言えば、私が敬愛するAlfred Hitchcock監督「逃走迷路」が有る。Hitchcockの場合は謎が収斂しミステリーの秩序は保たれる。しかし、本作は伏線は無く「謎」が積み重なるのみで、物語は混沌の一途を辿る。本作は紐解く行為自体がレトリックで、推理小説で言えばフランスのミステリーに良く有る「解けない謎」と言う訳だ。

劇場で有る事に気付き推理する事を放棄した。通常は主人公を中心に会話や周囲の音が聞こえる。しかし、本作の視点はカメラと主人公が主観と俯瞰でリンクして、観客も周囲1m程度の視界しか許されない。被写界深度をボカす技法や、師匠譲りのワンカット長回しで見る者を翻弄する。音響も近接音だけでなく、視界の外の会話やノイズもハッキリ聞こえる。視覚と聴覚の遠近感を狂わす事、つまりロジックを放棄する事でフェアで無い事を自ら宣言してる。

今のスリラーは説明過多で、アンサーが提示され無いと低評価と言う極めて安直な観客が多過ぎるが、どうやら監督も同じ思いの様だ。全ての謎が解ける、と考えるのは傲慢で有り、映画はクイズ番組では無い。映画とは人生を投影する写し鏡、カオスを描く本作こそ、人生そのもの。現代アートのカリスマ、Jackson Pollockの絵を見て「何が凄いの?」と思う人が大半でしょう、それは正しい感想。何故なら彼の絵は「解けない謎」を描いてる。理解出来ない事を知る事が芸術で、その為にはインテリジェンスが不可欠。解釈を丸投げする事と、想像力に委ねる事は違うと監督は訴える。

本作の真意はドッペルゲンガー。分身はイリスの兄カルマンで有り、謎を追う者=イリス、謎自体の分身=カルマンと考えれば辻褄は合う。妄想と現実の区別がない本作は、現在の社会の混迷ぶりを写す合わせ鏡。20世紀に保たれた秩序は今、世界中で崩壊してる。世界の警察を辞めたアメリカ、EUと対立するイギリス、中東に介入するロシア、アベノミクスで骨抜きに成り格差が拡大する日本。それを帝国の崩壊と重ねるのが監督のテーマ。なぜドッペルゲンガーなのか?。Doppelgängerはドイツ語で有り、ハプスブルク家はドイツ系の貴族。歴史上の貴族の崩壊と、主人公の精神の分裂が見事に結び付く。

ラビリンス「迷宮」の時代を生きる私達へのメッセージ。観終わった後、オフ会が大いに盛り上がりました。
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