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バスターのバラードのGreenTのレビュー・感想・評価

バスターのバラード(2018年製作の映画)
3.5
アカデミー脚色賞、主題歌賞、衣装デザイン賞にノミネートされていながら全く話題にならなかった作品ですが、なんとネットフリックス配給だったのですね。完全に『ROMA / ローマ』の陰に隠れてしまいました。

独立した6つのショート・ストーリーを集めたオムニバス映画ですが、背景は全て開拓時代のアメリカ西部になっています。インスパイアされた小説はあるようですが、コーエン兄弟が20年から25年くらいの構想を練って書き下ろしたものばかりだそうです。

『ノー・カントリー』の緊張感と不条理、『トゥルー・グリッド』でも表現されていた、開拓時代のシビアな現実、『ファーゴ』の抜け感のあるジョークが、うまい具合にアメリカン・ショート・ストーリーの世界観とマッチしていて、とても面白かったです。

従来の西部劇では、ガンマンたちのマチズモやニヒルなカッコ良さがフィーチャーされていますが、実際は無法地帯で、野蛮で、不潔な、「開拓時代の真実」を描いています。最近では『ゴールデン・リバー (The Sisters Brothers)』もこうした新しいガンマンたちのポートレイトを描いていましたが、こちらではそれに加え、インディアンたちのポートレイトも赤裸々で、めちゃくちゃ怖かった。

第一話は、タイトルにもなっている 『バスターのバラード(The Ballad of Buster Scruggs)』で、「ミュージカルかよ!」っていう独特の演出です。個性派俳優・ティム・ブレイク・ネルソンが演じる、西部劇ではお馴染みの早撃ちの名人は、真っ白なカウボーイハットに真っ白なカウボーイパンツという、やたら小ぎれいな格好をしていて、歌ばっかり歌っている。つまり伝統的なニヒルで口数の少ないカウボーイというイメージを払拭したチャラいキャラで、周りの野蛮さ、不潔さ、汗臭さから完全に浮いています。最後、真っ黒な衣装を着たカウボーイと決闘をするのですが、最後のオチも、伝統的な西部劇のイメージをぶち壊すようなものでした。この「オチ」をやりたいがために、コーエン兄弟は、初のデジタル撮影に挑戦したんだとか。

第2話の『アルゴドネス付近(Near Algodones)』では、ジェームス・フランコが荒野にポツンと立っている銀行を襲うカウボーイを演じているのですが、この銀行のたった一人の行員が、なんとあの、『オフィス・スペース』の「ホッチキス・・・・」と言っていたミルトンなんです!喋り方ですぐわかります。こいつが洗濯板や鍋を鎧代わりに、抵抗してくる様子がおかしい。

第3話『食事券(Meal Ticket)』では、ドサ回りの見世物小屋の主人をリーアム・ニーソンが演じ、ハリー・メリングが、手足がない胴体だけのパフォーマーを演じています。このパフォーマーは、シェリーの『オジマンディアス』を見事に語る素晴らしいパフォーマーなのに、不具というだけで見世物にされ、観客は地方の学がない人たち。彼は、パフォーマンスをする以外に一言も話をしません。だんだん寒くなり、興行を見にくる観客が減っていく中でのドラマが悲しい。

第4話の『金の谷(All Gold Canyon)』では、トム・ウェイツが、一攫千金を狙う老人を演じています。ポニーに家財道具一式を乗っけて川辺にやってきた老人は、金塊を掘り当てようと穴を掘り始める。水辺でのんびり水を飲んでいた鹿や、花に戯れていた蝶々、卵を孵化させようとしているフクロウが、老人が美しい川辺を貪欲に掘り始めると、みんないなくなってしまう。

この話のすごいところは、金塊を掘り当てた老人がカウボーイに背中から撃たれてしまうのに、「大事なところは傷ついていない!」と言って、回復するところなんですね~!これはショッキングでした。マジで、たとえ銃で撃たれても、大事な臓器とかを全部避けて貫通していれば、軽い切り傷と一緒で、体力さえあれば治ってしまうという、とにかく度肝を抜かれるシーンでした。

で、色々起こるんだけど、金塊を持って爺さんが去っていくと、鹿も蝶々も戻ってきて、川辺にはまた平和が訪れる。爺さんに起こった色々な事件もすごいんだけど、そもそも人間は強欲で、それで自然を壊しているって感じのする話でした。

第5話の『早とちりの娘(The Gal Who Got Rattled)』では、開拓時代の「ワゴン・トレイン」と言われる大行列で大草原を旅する、過酷だけれども壮大な様子がすごい良かったです。また、商売が下手なお兄さんに翻弄される若い娘、アリスを『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』のゾーイ・カザンが好演していて、このころの女性の立ち位置なんかも良くわかりました。

この話が物語としては一番わかりやすく、尺も長いし力も入っている感じがしました。撮影はネブラスカで行われたそうなんですが、「普通」感を出すために、地元の人をエキストラに雇ったり、大きなワゴンは1930年の『The BIg Trail』のデザインを基にわざわざ作ったらしくて、とてもリアルですごい良かったです。

最後の『遺骸(The Mortal Remains)』は、イギリス人(ジョンジョ・オニール )、アイルランド人(ブレンダン・グリーソン)、フランス人(ソウル・ルビネック)、貴婦人(タイン・デイリー)、毛皮猟師(チェルシー・ロス)が、コロラドのフォート・モーガンに向かう駅馬車の中で会話をしているだけの密室劇です。彼らは、愛や人生、ヒューマニティをそれぞれの言葉で語るのですが、最後のオチが病的で陰鬱な茶番劇というか、一番様々な意味を内包していると思いました。

6話もののTVシリーズに、との声もあった中、コーエン兄弟はこの通りの順番で一つの映画にしたかったのですが、従来の映画会社からの出費には期待していなかったそうです。

ジョエル・コーエンは、近年映画スタジオの主要ビジネスはマーベルその他のヒーローものばかりで、小作品に積極的に投資しているのはネットフリックスだけだということを知っていて、配給を頼むことにしたとウィキに書いてありました。

しかしコーエン兄弟は、ネットフリックス配給になると、劇場公開がストリーミング開始前の短期間しか行われないので、「何年も、何日も、何時間もかけてこだわったディティールは、大画面でこそ本当にその真価がわかる」という思いと同時に、DVD化されて家で鑑賞されることが収入の手助けになっていることには異存はないし、先行試写会のために劇場に足を運ぶことなく、家で観れるのを便利に感じたことも認めていて、複雑な思いがあったようです。

また、音楽を担当したカーター・バーウェルは、ネットフリックスは労働組合に加盟していないため、アメリカのレコーディング・スタジオを使うことができず、ロンドンのアビー・ロード・スタジオで録音するハメになったことを「アメリカの西部劇なのに皮肉だ」と語っていたそうです。労働組合に加盟していない制作会社で作られる映画が増えているため、過去20年で映画音楽のレコーディング業界は、再建される見通しもないまま、ニューヨークから消え去ってしまったらしいです。

ネットフリックス作品に対しては私も複雑な心境で、私はDVDで映画を観るのが好きなので、特に大画面に対して、コーエン兄弟をはじめとするフィルム・メーカーたちほどのこだわりはないのですが、ストリーミング主体になると「消えもの」「消耗品」という感覚がまだあって、こちらが主流になることが受け入れられないでいます。

だけど、コーエン兄弟に言われるまでもなく、大手スタジオがスーパー・ヒーローものに力を入れていること、私は本当にくだらない文化だと思っています。描きたいテーマもないのに、社会問題を表面的に取り入れた薄っぺらい脚本で、派手さのためだけにCGI を乱用しているヒーローものに巨額のバジェットを投じて量産し、『バスターのバラード』のような、考えさせられるけれどもエンターテイメント性もある、クオリティの高い小作品を無視しているのだったら、いくらオスカーから締め出したって、その内ネットフリックスに食われてしまうでしょう。

映画の内容もさることながら、「ネットフリックス問題」の側面も知ることができて、色々な意味で印象深い映画でした。
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