みかぽん

ジョーカーのみかぽんのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.0
アーサーが家路へ向かう急勾配の登り階段は、まるでキリストが十字架を背負い、刑場へ向かう後ろ姿のように弱々しく映るが、彼がジョーカーに変貌して階段を舞い降りるその様は華やかであり、足取りも楽しげで軽やかだ。

いつの世も善は儚げに弱々しく、悪は圧倒的に力強い。

世の中に蔓延る欺瞞、自分に対し向けられた悪意、裏切り、見縊り。これらが彼の中で一線を超えた時、釈明の隙間さえ与えずに下す怒りの鉄槌に、私は息を呑みながら、しかし心の何処かで溜飲を下げてその顛末を見届けた。

後半の暴動でのジョーカーの役割は心理学で言うところのトリックスター(既存の秩序の破壊者)であり、それを求めない人にとっては迷惑な厄介者だけど〝雨降って地固まる〟を呼び起こさせる存在でもあった。あの暴動も広がる格差社会に人々の不満はすでに臨界点を超えていて、ジョーカーはそのひと押しに過ぎなかったとも思える。

世の中の不条理や理不尽に対し、持って行き場のない悪態を呪文のように小さく呟き、それを心の底に澱のように溜めながらやり過ごす無力な人間が我々であるなら、ジョーカーの一部に我々は宿り、悪のカリスマであるジョーカーはそんな人々の集積体なのだ。

追記)「必殺仕置き人」だって、天に代わってお仕置きをするわけだし「大魔神」だって穏やかな石仏が破滅と破壊の魔神となって悪を成敗するわけで。
こうした物語の主人公は闇の職業人であったり、あるいは神であったりの安全弁がかかるんだけど、ジョーカーは立場の弱さに苦しむ市井の人間が悪へ変貌する様なのであまりにリアル過ぎ、その別枠には入れてもらえない。
追い詰められた人間は脅威であり、そこがまた責めの材料になりそうで(言いたいのは、善悪なんてのはある意味で主観ですよねってこと)。
なので仮に自分の一部がジョーカーと同義であったとしても、自分を怖れる必要はないと思う。感化される人間を警戒する向きがあるようだけど、この映画で一線を超えたと話す人間は何かのせいにしてそれをやり遂げたいんだろうし、やらない側の人間はそう簡単にそちら側へは転ばない😞。
何もかもを一緒くたにすること自体が危険と思えてしまうのは私だけ?
みかぽん

みかぽん