ぐるぐるシュルツ

ジョーカーのぐるぐるシュルツのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.4
存在を否定されてきた者ができることは、
否定しかない。それしかない。

〜〜〜

『ダークナイト』からの『ジョーカー』鑑賞。同じキャラクターをそのまま現代社会にねじ込んだよう。

今作のジョーカーは最初は名もなき市民。
精神が弱っているようで、他人から心ない扱いを受ける=存在を否定されると病的に笑ってしまう。笑う、ということは誰かから存在を認知されること。生まれたときならば、何かに対して笑ったなら、それは好意的に受け止められる=肯定されるもの。しかし、アーサーは絶望的に存在を否定され続けてきた。
他人にも、環境にも、社会にも。
笑えども笑えども。

しかしある夜、思わずして、殺人を犯す。
自分存在を否定され続けてきたアーサーは、
誰かを殺す事で、自分以外の存在だって消すことができたのだと知る。
人殺しのショックとは裏腹に、溢れ出るアドレナリンと、とうとう他者の存在を圧することできた強烈な自己存在感にアーサーを酔いしれる。
それが、トイレでのダンス。
自己存在を強烈に味わうダンス。
誰も観てやしないのに。

そして、一夜明けてみたら、まさかの覆面の社会派のような扱いを群衆から受けることとなる。
匿名の非存在性が、図らずも自分の存在性を高めることとなる。

他人の存在を消すことが可能になったアーサーは、無自覚ではあるが、他人の存在を自らのうちでねじ曲げることもできるようになる。
例えば、隣人の女性。

〜〜〜

ただ、無理矢理つくりあげた存在は、血縁関係という唯一の存在の拠り所が危ぶまれた時、意外なほどあっけなく消え去っていく。
そこでアーサーにできることはもう自分の存在を否定することしかない。
自殺ではないが、
それに限りなく近くて、もっと違うやり方で。

そこから狂気は加速していき、
大衆の面前でとうとうアーサー自身を否定して消し去り、
人をぶち殺して、
ジョーカーとして自己存在を肯定させる。

〜〜〜

現代社会の闇である諸問題がジョーカーに絡みついている。
幼児期のネグレクト、社会的なネグレクト、それを拡大再生産する貧富の格差。
それに留まらず、ネット世界で、
誰もが経験しうる匿名である自己との対峙。
承認欲求が自己存在と直接結びついた時の危うさ。

僕らは誰の存在を認めてあげてるだろうか。
受け止めてあげてるだろうか。
誰から認めてもらえているだろうか。
受け止めもらえているだろうか。

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原作バットマンとやんわり関わる感じは面白い。
バットマンこそ匿名の騎士=社会が良くなるには自己の存在を否定しなくてはいけないことが、『ダークナイト』を再鑑賞した直後だからこそ、はっきり対比されているのを感じて、
ほんと面白い。

〜〜〜

同時代性に、めたんめたんに、ぶちのめされる。
評価されるわけだよ。