にしやん

長いお別れのにしやんのネタバレレビュー・内容・結末

長いお別れ(2019年製作の映画)
1.0

このレビューはネタバレを含みます

認知症はもはや国民病や。数値的にはちょつと古いけど、厚生労働省の発表によると日本の認知症患者数は2012年時点で約462万人、65歳以上の高齢者の約7人に1人が認知症と推計されてて、将来的に2025年には700万人を超えると推計されとる。これは、65歳以上の高齢者のうち、5人に1人が認知症になる計算になんねん。凄い数字やな。認知症高齢者の家族との同居は61.6%(うち、子供や子供の配偶者の合計は33.0%)やから、認知症患者の半分以上が家族が家で世話してるっちゅうんが実態や。それにもっと怖い数字もあんで。警察に届け出があった認知症の行方不明者は2017年時点で何と1年間に1万5863人や。これって凄ない?最近の年間の交通事故死者数が約3500人やから、認知症患者の徘徊による行方不明がいかに多いかが分かるやろ。
この映画は、認知症になったしもた夫であり父親が亡くなるまでの7年間を綴ったとある家族の話や。この映画に出てくる家族は認知症患者を抱える標準的、典型的な家族やろと思う。
まずわしがこの映画を観て一番感じたことは、この映画の作者は、認知症の患者を抱える家族を描くことで、理想なんか、夢なんか、願望なんか、皮肉なんかはよう知らんけど、観てるもんに対して作者の考える、ある「家族像」あるいは「家族観」みたいなもんを、明らかに提示してんのちゃうのということや。では、それがどないな「家族像」や「家族観」かっちゅうことを説明していこか。
まず奥さんやけど、この人ずっと専業主婦やったんやろな。なんか夫のことしか考えてへんな。彼女が自分自身のことを語ったシーンっていっこもあれへんのとちゃう。病院でいっぺんだけ声を荒らげるシーンがあったけど、自分のほんまに思てることを吐き出したんってそれ位やろ。お父さんのことは私が一番分かってます、みたいなやつや。この人に自分とかあんのやろか?夫のことしかあれへんやん。自分は夫のためだけに生きてきた妻ってことなんやろけど、それってどうなんやろな?はっきり言うてきしょい。こんなん今どきおるんやろか?そういう生き方を別に否定する訳やないけど、作者はそういう妻をエライとか、そうあるべきやとか思ってるんやろか?それともこんな人居ませんよねっちゅう皮肉なんやろか?
娘二人もこの父親との関係性としてのみ機能してるで。まず姉やけど、家族全くうまいこといってへんな。まず自分だけアメリカの生活に全く馴染めてへんことで家族の中で疎外されてる。夫婦関係もぎくしゃくしてるし、子供もグレるしな。この姉の家庭がうまいこといってへんことを描くことによって、自分(姉)の育った家庭つまりは父親の家庭はうまいこといってたということを暗に示す機能を果たしてる(姉にモロその発言あったで。PCを通しての会話のとこや。わし見逃してへんで)。作者にとっては、姉の生活やとか内面とか悩みとかどうでもええねん。とにかく父親の家庭との対比だけやな。妹も基本はおんなじ。姉と形はちゃうけど、うまいこといってへん。非正規やし、料理は得意そうやけど定職もなく、なんか行き当たりばったりやしな。結婚願望もあるみたいやけどそれもあかん。これかて父親のいうこと聞いてたらこんなんになってへんのちゃうのっていうことを暗に示す機能を果たしてる(妹にもモロその発言あったで。川の土手のとこや。わし見逃してへんで)。作者にとっては、姉と同じく妹の生活やとか内面とか悩みとかどうでもええねん。とにかく父親の望んでた娘の人生との対比だけやな。
作者の提示する「家族観」とは、父親中心の、伝統的っちゅうか、保守的ちゅうか、この国から失われつつある「家父長制家族観」とちゃうんかな。「帰る」「帰る」という言葉がキーワードのように繰り返されてたけど、わしには「家父長制家族観」へ「帰れ」、「帰れ」に聞こえてしもたわ。確か、アメリカの夫が姉の妻に向かって「どこに帰るの?」って聞いてたけど、姉の家庭は完全にこの「家父長制家族観(像)」の対比として機能してんな。日本に居る父親とアメリカの夫。父親の娘としての姉と自分の息子。いやー、作者の意図っちゅうか印象操作はばっちりやな。
それとわしがもっと気になったんは、こういう作者の「家族観」の提示(悪く言えば押し付け)をするんに、「認知症」という病気を映画の中の道具(ツール)として活用しようとしてるみたいな感じがあるとこや。基本は母と娘二人が父との思い出を語って、私らはええ家族やったとしみじみするだけの話で、実際のところ現実の認知症の実態を描こうっちゅう意識は感じられへんかったし、家族もその対処に困った様子は全く見せへんしな。
それにやな、わしがいっちゃん嫌やったんは、山崎の認知症芝居観て映画館の客が何べんも笑てたことやな。確かに山崎努は芝居上手やし、これは一種の山崎の芸や。皆それが分かった上でゲラゲラ笑てんのもよう分かる。せやけど、わしこれってなんかちゃうと思うねん。ほんまの病気の人見てゲラゲラ笑えるか?認知症という病気をポジティブに描こうって意図については百歩譲って分かるとしても、わしはこれは絶対にちゃうと思うわ。作者はこの山崎の芸を完全のエンタメのツールにしてる。この映画の核心はズバリここやと思う。映画館にゲラゲラ笑う声が笑うたんびに、わしは違和感と居心地の悪さをずっと感じてしもたわ。
それに他にも、アメリカのシーンがしょぼいとか、地震関連のエピソードどやねんとか、メリーゴーランドに父親と幼い子供を一緒に乗せる乗せ方技とらしいとか文句は色々あるけど、もうええわ。なんか疲れてきたわ。​
みんなのレビュー見てたらなんか絶賛の嵐みたいやけど、世の中は依然として古い「家族観」への郷愁が強いんやなとあらためて思たわ。
正直わしはこの映画一滴の涙も出えへんかったし、なんも感動せえへんかった。
どんな映画創るんも自由やし、監督が何を訴えるんかもそら自由やろ。せやけど、わしには監督が思い描くような「家族観」は全く持ち合わせてへんし、芸とはいえ認知症の患者を「笑いもん」にする感覚はあれへん。​それだけやわ。
にしやん

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