ぐるぐるシュルツ

さよなら、退屈なレオニーのぐるぐるシュルツのレビュー・感想・評価

さよなら、退屈なレオニー(2018年製作の映画)
3.8
私が世界に飛び出て行くとき。
蛍光灯と蛍の光。

〜〜〜

移民の海辺・ケベックを舞台に、ティーンエイジャーのどこにも行けない孤独と吹っ切れてしまう希死感にも近い切実さを描いたカナダの映画。

冒頭でいきなり主人公レオニーがヘッドホンを片手に不満げに立ちつくしている。
あぁ、これは少しエモな青春ロックを聞き出して、それにシンクロするように世界が動き出す流れかと身構えていたら、
まさかの無音。
そして、主人公と捻れた家族の食卓、そこからバスに飛び乗るときのオーケストラ。
完璧なタイミング。
不謹慎に笑う彼女は、愉快というよりか、自虐的にも見え受けられる。
この潔癖な痛さに、
ヌーヴェルヴァーグからぶつ切りで繋がってるような感覚を覚えました。

レオニーは、
明らかに実父像と義父像に安易な対立を敷いて、さらにはギター講師に対して転移的に父性を求めてしまっている。
この映画で抜きん出て面白かったのは、
レオニー自体がそれを痛烈に自覚して、蔑み否定することでもう全てわかった気になっているイマドキティーンエイジャーだということ。
知ってること感じることは全然違う。
でも、「義父との和解」や「実父の懺悔」なんてものは、彼女の友達のくだらない雑談や無思考の授業態度などと同じように共感もできない、まるでドラマみたいな低俗なものとして受け止めてしまっている。
ボタンを押したらすぐ付くこともできないくせに強靭な自分だけの居場所を闇の中に作ってしまう、オンボロ蛍光灯のようなレオニーの心。
その孤独な居場所では、 孤独なギター弾きのように輝く瞬間もあるけれど、多くの人は近寄ってくることもない。


出てくる暗喩は、
蛍と蛍光灯。
世界に広がる港と行き止まりの入江。

最後のバスに飛び乗る「反復」は
すごいです。
直前まで飛び乗らないことを想定してしまいます。
飛び乗らない世界線がはっきり見えます。

でも、バスに飛び乗ってしまう。
オープニングの「どうにでもなれ感」も心地よい痛さもそこにはなく、
彼女は彼女のやり方で
しっかり傷ついて、
そして飛び出ていく。
嵐のように激しい決意なのに、
そよ風のように爽やかに飛び出ていく。

彼女がいなくなった世界で
いなくなったはずの蛍が光りだす。

「さよなら〜」系のタイトルの映画は多いです。
思春期の女子の映画も多いです。
でも、この映画はそれらの映画とは、かなり断絶した位置にあると思います。
かなり固い映画でした。

それにしても、劇場ポスター、かわいくてよし。