スケ

ガール・イン・ザ・ミラーのスケのネタバレレビュー・内容・結末

ガール・イン・ザ・ミラー(2018年製作の映画)
3.2

このレビューはネタバレを含みます

ひたすらに悲痛だった。
少女の苦悩をきちんと真摯に描いた物語なんだから、半端にロリコン向けみたいなヌードシーンとか入れなくても良かったのに。

日本版のポスターに書いてある煽り文が酷い。「"永遠の美少女"オリビア・ハッセーの遺伝子 インディア・アイズリー」。
まさにこういった視点に苦しめられている少女(や妻、母、全ての女性)の物語なのに。
映画を見てマリアの孤独にしんみりして、ポスターのコピーを見て彼女の暴力に「hooooo!その意気だやっちまえ!もっと殺せ!みんな殺せ!」と闘志が湧き上がる。そんな映画です。


私はアイラムはマリアの一時的乖離人格(というかイマジナリフレンド)だった派です。
アイラムが現れたのは双子のエコー写真を見た後。あの不安定な母親が、それまでに一度も生まれなかった姉妹の存在を仄めかしもしなかったとは思えない。彼女には薄々感づくところもあったのでは。
また、彼女の精神の乱れは母親の不安と呼応しているところがあるように見える。
子どもの心身が母親の機嫌などに影響されるのはよくあることで、この映画と同じように、夫の不倫に悩む母親と、その精神に引き摺られるように喘息の発作に苦しめられる息子、という構図を描いた山岸凉子の短編などはそのあたりを本当によく表現していた。
最後にアイラムが鏡に向かってマリアを呼んでも出てこないのは、彼女が最初から彼女自身だったから。長年のストレスに加え、プロムでのショックによりついに乖離した人格と入れ替わったように感じていた。
そしてアイラムを形作ったのはマリアと、彼女の母親の精神。
最後のカットはこの物語がもともと彼女たち2人の物語であったことがよくわかる画だった。
結局この物語は、夫にモラルハラスメントを受け続け、自身も自立心に欠けた母親と、その影響を一身に受けた娘の、精神の癒着の物語だったのだと思う。
どちらにせよマリアは被害者です。カナダの少年法がどうなってるかわかりませんが、マリアはまだ18か17なので、母親がしっかりと責任を取り、マリアには教育や再出発への援助の手が差し伸べられることを願います。

さすがカナダだな、と思ったのは、抑圧されて誤った形で愛情を求めるマリア(アイラム)が奔放な女性のような振る舞いをしても、父親が全く靡かないどころかきちんと叱り飛ばすところ。服を着ろ!と叱ったりとか。そういうタイプのクズではないんですね、このパパ。日本の映画だったら娘の魅力にくらっと行っちゃうと思う。それが「男のサガ」だとでも言うように。


というか、エンドロールの最後に「私の父に捧げる」という献辞があるのは…。怖いんだけど…。
監督、毒親育ちだったのだろうか。
スケ

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