にしやん

僕たちは希望という名の列車に乗ったのにしやんのレビュー・感想・評価

3.5
ベルリンの壁ができる5年前の1956年、冷戦下の旧東ドイツで起こった実話に基づいた話がベースや。とある地方都市の高校生たちが授業中にハンガリー動乱の犠牲者への2分間の黙祷をクラスでしてまうねんけど、国家はひつこく彼らを追い詰めていく。友情をとって進学あきらめんのか、友達裏切って大学に進むんか、彼らが決断を迫られるっちゅう話や。
映画を観ててまず気になったんは、高校生の親たちの抱えているもんの複雑さやな。この世代は大戦前から敗戦まで大なり小なりナチスを支持したり、協力してた人等が殆どやろ。そらな、後ろめたいんは当たり前やろし、それどころやないかもしれへんな。「お前ナチやろ」って言われたら命かて危なかったかもしれへんしな。その辺のことがあるさかい、とにかくこの世代の持つ息苦しさをまず感じたわ。
それに比べて高校生等の世代は、敗戦の頃は未だ小学校入る前でナチとは直接関わりがあれへんさかい、その辺の息苦しさみたいなもんはあれへんわ。それと社会主義自体への懐疑もあれへんように感じたわ。大戦中、国内の社会主義者がレジスタンスとしてナチと闘ってたっちゅうこともあるやろし、当時はまだ大戦から10年くらいしか経ってへんから資本主義陣営と社会主義陣営とで経済格差もそんなにあれへんかったやろしな。逆に言うたら宇宙開発なんかではアメリカよりソ連のほうが勝っとったりしてたもんな。社会主義にもそれなりに未来を感じてたんかもしれへんな。
彼ら高校生等が反発を感じてたんは「ソ連」に対してやろな。彼らがソ連に反感持ってたことを象徴するようなエピソードも映画の最初のほうに出てくるしな。1953年にソ連の絶対的指導者スターリンが死んで3か月後に東ドイツ各地で反ソ暴動(所謂六月十七日事件)が起きたりしてることからも分かるように、スターリン時代のソ連の圧政への反発が彼の死後、社会主義陣営の中で一気に噴出するんが、丁度この時期やねん。それとこの話の前年の1955年に、連合国から東西ドイツにそれぞれ主権全般の返還もされてて、ひょっとしたらわし等かてソ連の支配を跳ね除けられるんちゃうかという淡い期待もあったんかもしれんな。スターリンおったら無理やけど、もうおらへんし、ひょっとしたらいけるんちゃう?みたいな。そんな中で起きたんがハンガリー動乱や。実際にハンガリーではソ連の支配に対して民衆による全国規模の蜂起が起きた訳やから。そらドイツの高校生等がちょっと浮かれてやらかしてまうんも無理ないかもしれんわな。
そんなもんやから旧東ドイツ政府かて当時は相当ビビッてたんやと思うわ。スターリンが死んで只でさえ箍が緩んでんのに、東ヨーロッパ中がハンガリーみたいになってしもたらソ連かて保たへんもんな。地方の高校下りまで東ドイツの教育大臣が来るくらいやねんから相当な危機感やで。こんな地方の高校生の悪戯に国家がここまで剥きになるのって、もうあきれるん通り越して、ちょっと笑けてくるわ。そらこんな体制長いこと保たへんで。その後のソ連やら東ヨーロッパの崩壊を充分示唆してるわ。
高校生の追い詰め方かて陰湿やもんな。仲間割れを誘うやり方なんっちゅうんは卑劣極まりないわ。社会主義とか反ファシストとかなんかしらんけど、やってることがナチと変わらんっちゅうのも皮肉なもんや。その辺を高校生にズバッと突かれて逆切れしとったな。滑稽やったわ。
そやけど、間違うたらあかんのは、この話を受けて資本主義、自由主義はマルで、社会主義、共産主義はバツっていう短絡的な話では決してないっちゅうことや(と思う)。わしがこの映画で知らされたことは、資本主義でも社会主義でも何主義でも関係なく、体制なり権力に楯突くときは、TPO(時と所と場合)をちゃんとわきまえとかんと、程度の差こそあれ何らかの不利益を被るリスクがあるっちゅうことやな。そこんとこはどんな国でも、体制でも根本はおんなじやと思うわ。わしの中国人の知り合いなんかでもわしと会うてる時は、政府とか○○党のことを散々言うてるけど、絶対にわしと二人で居るところでしか言わへんもんな。公的な席とか不特定多数の人等にとかには絶対に言わへんやろ。それは日本でも同じことやで。例えば公立高校の卒業式で君が代を唱う時に、式のその場で起立せえへんかったり、大声で反対したり、反対のビラとか撒いたりしたらどうなるんやろ。大臣がその高校にまで来るんかどうかどうかは知らんけど、それはそれで大騒ぎになるんとちゃう。最近やったら最悪、威力業務妨害あたりで捕まるよ。そら、国や体制によって程度の差はあるよ。確かに黙祷程度のことで大学行かれへんようになるっちゅうんはどうかとも思うけどな。多分日本でやったら高校で黙祷くらいでは大学進学には影響ないかもしれんけど、就職となったら色々結構きついこともあるんとちゃう?例えば企業の新卒採用の面接で、いくら思想の自由が憲法で保障されてるからっちゅうて、企業が明らかに嫌いそうな思想信条を思いっきり主張したりしたら、よっぽど物好きな企業以外、普通企業には絶対入られへんやろ。国や体制によっての程度の差っちゅうんはそういう話で、本質的には同じなんとちゃうかな。せやけど国の中には強制収容所に入れたり、最悪処刑したりかてあるんも事実や。これらは全く別次元の別問題。絶対に許されへん。
決して黙祷そのもんがアカン言うてるんやないよ。あの時代、旧東ドイツでほんまに黙祷したいんやったら、それも多数決とかして関係ない奴巻き込まんと、やりたい奴等だけでどっか他所で分からんようにやったらええやんか。やりたない奴等まで巻き込んでやな、教室でそれも授業で先生に向かってやるんとか、ほんまどうかと思うわ。徒党を組んで学校に対してイキがってるヤンキーのガキ等と一緒やん。それはそれでアホやと思うわ。決して賢いとは言えんよ。それにやりたかったらまず一人でやれよ。みんなを巻き込んで連帯責任にするとこもなんかちょっとずるい感じするし。わしはあんまり好かんわ。
思うことは思ってええ、言いたいことも言うたらええ、でも時と所と場合だけはわきまえろ、それに関係ない奴は巻き込むな、まずは自分の責任でやれ、ただそれだけのことやんか。国家がどうとか、人間の尊厳がどうとか、言論の自由がどうとかそんな大した話でもあれへんと思うねんけどな。どうなんやろ?
にしやん

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