耶馬英彦

キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンの耶馬英彦のレビュー・感想・評価

4.0
 206分の大作だが、感覚的にはまったく長く感じない。ただし鑑賞前にはトイレに行っておくべし。

 ヨーロッパ人がアメリカ大陸に渡って支配を開始したときから、ヨーロッパ人には根拠のない奢りがあった。世界史では大航海時代にコロンブスやバスコ・ダ・ガマによって新大陸やインドが発見されたとされているが、それは明らかにヨーロッパ人からの主張である。発見された側は、明らかに侵略された側だ。
 インディアンや南インド諸島という呼称は、新大陸に着いたのにうっかりインドだと思ってしまったコロンブスの勘違いに由来するが、その後すぐに、インドではないことが判明した。しかし本作品を観ると、20世紀初頭になっても、相変わらずインディアンという呼称が使われていたことがわかる。

 本作品は、元々住んでいた土地を追われたオセージ族が行き着いた土地を購入して、ようやく終の棲家を見つけたものの、そこから石油が吹き出して大金持ちになったあとの顛末が描かれる。コロンブスからすでに400年経っているが、ヨーロッパ人の奢りは相変わらずで、インディアンには財産を管理する能力がないから、白人が代わりに管理してやらないといけないと、実に身勝手な論理を振りかざす。

 主人公アーネストの妻モリーは、管財人に名前を名乗るのに「無能力者」と付け加えなければならない。暴力では白人に敵わないから、唯々諾々と従うしかないが、人間としての尊厳が蹂躙されていることは自覚している。つまり白人の横暴を理解している訳だ。
 実に賢くて気高いモリーに対して、アーネストは愚かで臆病だ。それでもモリーは、アーネストの自分への愛が本物であることを見極める。だから結婚するのだが、モリーが石油の利権の正統な継承者であることから、この結婚は周囲の人々の様々な強欲を誘発することになる。特にアーネストの伯父であるウィリアム・ヘイル=キングは、自分の利益のためには他者の不利益や生命さえも軽んじるという鬼畜ぶりだ。
 アーネストはというと、持ち前の臆病と利己主義から、キングの言いなりになってしまう。それでもモリーへの愛はあるから、モリーを守るのかキングに従うのかで引き裂かれそうになる。物事を深く考えた経験がないから、アーネストには哲学がない。だから自分の行動を勘で決めることになる。整合性も顧みないから、行き当たりばったりだ。モリーがアーネストの誠実さを試す最後の質問をするシーンは、とても行き詰まる場面だが、アーネストは臆病風に吹かれて保身を優先してしまう。一度も勇気を出すことなく、アーネストはクズの人生の残りを過ごすことになる。

 ドキュメンタリー映画であれば、オセージ族の受難の歴史の数々が時系列に従って並列的に紹介されるのだろうが、本作品はドラマである。マーティン・スコセッシ監督らしく、人間の不条理を徹底して描く。
 不条理の大きな源は、ロバート・デ・ニーロが演じたキングである。強欲を絵に描いたような人物で、他人の人格も人権もまるでないかのように振る舞う。得をすると思えばでまかせも言うし嘘もつく。脅もすれば騙しもする。人殺しも厭わない。もはやデ・ニーロではなくて根っからの悪党にしか見えない。大したものだ。
 レオナルド・ディカプリオは、愚かで臆病なくせに欲深い守銭奴のアーネストを、モリーへの無条件の愛情も含めて、余すところなく演じきった。本作品ではFBIの初代長官であるジョン・エドガー・フーヴァーが話の中でさり気なく紹介されているが、2011年のクリント・イーストウッド監督の映画「J・エドガー」では、主役のフーヴァーをディカプリオが演じている。何かの縁かもしれない。
耶馬英彦

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