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良き隣人の変節のkyokoのレビュー・感想・評価

良き隣人の変節(2002年製作の映画)
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クロード・ランズマンによる「ソビブル、1943年10月14日午後4時」が蜂起、脱出するまでを取材した作品であるなら、こちらは脱出後を追ったドキュメンタリー。
脱走できた300人がなぜ100人に満たない数にまで減ってしまったのか。
逃げた先の村々で何が起こっていたのか。
生き残った当時15歳だったトーマス・ブラットが収容所跡地から逃亡の道のりにそって、淡々と語る。
逃げる、隠れる、逃げる、匿われる、通報される、逃げる、のくり返し。
仲間は捕まりひとりになった彼はある村と村との分かれ道に立った。
それが彼の運命を分けた。

ドラマチックな部分は一切ない。
あるとすればやはり終盤の再会シーンだろうか。
それも当人たちはそれほど感極まっている感じはしなかった。

劇中、精神科医のコメントが入るのだけれど、これがもんのすごく眠くなる。ドイツ人?たぶんネイティブじゃない英語を、ゆっくりゆっくり。
ゆっくりすぎてぜんぜん頭に入ってこない。
善意はイデオロギーとは無関係に発動するものだとかなんとか(でも彼を助けた人物は、俺がパルチザンだったからとか言ってたんだけど)。

たまに監督が複数いる人全員のアテレコつけたり(しかも全部同じトーン)するのも困る。
満席状態な上に周囲の客運がすこぶる悪かったこともあり、集中を欠いてしまった。

ソビブルの跡地で会ったポルトガルから来た女子高生たちは、映画「ソビブルからの脱出」(たぶん)を観て興味を持ったから来たという。彼女たちにトーマスが「俺、あの映画に出てくる○○」とドヤ顔で話すのがちょっと笑える。
あと分かれ道で、「こっち行ったら殺される」と彼が指さした瞬間、車がそっちに曲がっていったのもなかなかミラクル。
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