「兄弟…次の標的はここだ!この国の異教徒どもは我々の富を盗み日々享楽に耽っている…今こそやつらの悲鳴を世界に発信してやるのだ!世界中がお前たちを見てるぞ…神はお前たちを祝福してくれるだろう」
強烈である。
実話である。
娯楽性を一切排除した二時間は息も出来ないくらいサスペンスフルな時間だった。
この映画…ムンバイに上陸するテロリストたちと片方の靴を置き忘れて出勤するホテル従業員…から始まる。
命をかけて客や家族や怪我人を救おうとする人々…立派である。
命をかけて「これは聖戦(ジハード)である」と信じて疑わない、訓練され洗脳された若者たち…ある意味純粋な子供たち…
この二つの価値観がまったく相容れない様子が心底恐ろしかった…
「神」と「命」の考え方が違うだけで同じ人間がここまで乖離してしまうのか?
ホテルやレストランやコンサート会場の犠牲者たちにとってテロリストは人の形をした地震や火災や津波と同じディザスターである。
お互いが人間ではないと思っているのだから本当に恐ろしい…
ひとつだけ象徴的なシーンを…
テロリストの一人がトイレに隠れていた女性を射殺した後…水洗トイレを不思議そうに流す…
彼は急に子供のような顔になって仲間に呼び掛ける…
「おい!見ろよ!クソを流す機械がある…畜生…こいつらクソをした後も楽しんでやがるんだ」
この少年がどんな育ち方をしてきたかが分かり、そのスウィートルームに宿泊する客とは絶対に相容れないのがわかる恐ろしいシーンだった…
オーストラリア映画…
堂々たる映画であった…
「…今こそやつらの悲鳴を世界に発信してやるのだ!世界中がお前たちを見てるぞ…神はお前たちを祝福してくれるだろう」
「しかし兄弟…この国の人たちはイスラム教徒に理解があると聞いているし、今までジハードの標的になったことはなかっただろう?」
「こいつらはあのアメリカの友人だぞ!異教徒だ…人間と思うな…今まで標的になってないからこそ容易く大きなジハードを決行できる…この日本ではな」
「わかりました…兄弟…神は偉大なり!」
今や絵空事ではないのだ…