しの

閉鎖病棟ーそれぞれの朝ーのしののネタバレレビュー・内容・結末

閉鎖病棟ーそれぞれの朝ー(2019年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

「事情を抱えてない人間なんて居ないからね」

この言葉はこの病院内に関わらないことであることをどれだけの人が考えられているのか。
内側からは鍵を開けられない病棟でいかに心の内を開くのか、なかなか見応えがある映画です。

チュウさんは自分のことを患者だと卑下することはあっても、介護の必要な母親、殺人をおかしたヒデさん、同じ病棟の人を偏見なく見れる人。これは逆に世間で一般と呼ばれる人にはなかなか出来ないことだと思いました。

下の世界では閉鎖病棟の人のことを
「坂の上の人」と呼び、家族からも「頭がおかしい」「厄介払い」と表現される。そのことを踏まえて見るとチュウさんやヒデさんの心の広さがより顕著だと、ただ、どちらが人として考え方が広く正しいかを考えようとすると答えは簡単のように思えるが実際に自分をどちらの人間かと分類するならば私はやはり彼らのことを「坂の上の人」と呼ぶのだろうと辛くなった。

映画後半、チュウさんが退院を告げる時
「病院は厄介払いできていいかもしれないけれど身内はそうはいかない」
「本当にお兄さんのことを考えたことがありますか」
「家族の役割」
という言葉が出てきます。

妹夫婦からしてみたら既にある自分の家庭の幸せから出て母親の介護に兄の病院、治療について考えたことがないわけが無い。けれどそれは看護師さんの言う「お兄さんのことを考える」とは別のこと。お兄さんの気持ちに寄り添っているのは看護師さんであることは間違いないがその看護師さんがその後の生活を取り持ってくれる訳では無い。役割と言う言葉を軸に責任転嫁とも取れるかもしれない。

「介護の必要な母親に付き添い続けることが家族の役割か」
「病気の兄弟の面倒を見るのは家族の役割か」
自分が普通であるという自信が無い中で自分を見てくれる空間から出て偏見も課題も多い外に出て母親の介護をするチュウさんは正義。
お兄さんと母親を施設で見てほしいという妹夫婦は悪か。

議題に精神疾患がありますが、これは例外なく現代に多く見られる問題だなと、家族って役割ってなんだろうと。
少なくとも私は大きな決断をしたチュウさんの優しさ、軽い優しさや罪悪感からチュウさんと母親を受け入れると言わずにできないことはできないとはっきり明言できる妹夫婦は正しさは感じました。

リアリティとしては
・死刑執行後の展開
・屋上から飛び降りた由紀の軽傷
・自殺を測った由紀への看護師さんの言葉
・火事を起こした渋川の自由度
・外出許可
・ラストのクララ的展開
という疑問があり
リアル:フィクション 7:3というイメージでしたが現実10にしてしまえば心が閉鎖病棟の空間に囚われてしまいそこでクラス彼らの心情にここまで動かされることもなかっただろうと感じます。

役者さんの演技は綾野剛さん、鶴瓶さんを筆頭に群を抜いており、特にチュウさんが妹夫婦と別れ幻聴に苦しむシーン、保護室から出て水を飲むシーン、退院したよとヒデさんに伝えるシーン、法廷のヒデさんの震えにはグッときました。
しの

しの