DJ薄着

ドラゴンクエスト ユア・ストーリーのDJ薄着のネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

ドラクエ全然やったことないし、全然期待せずひとりで見にいったけど、SNSで叩くことが目的になるほど悪くはないのでは?と思った。
そもそも現在日本のCG表現は発展途上だと思う。海外の本物さながらのCG表現に比べるとどうしても見劣りしてしまう。
それでそのままゲームのシナリオ通りに着地したら、今はいいかもしれないけど、5年、10年、20年後にはあっという間に陳腐化してしまう。
最後の着地のさせ方は、発展途上のCGを逆手に取ったように思えて自分はありだと思った(だけどそれなら主人公がHMD被るシーンは実写で良かったのではとも思う(実写にすることでより安っぽくなるのを避けたと思うんだけど))。
トイストーリー1がいまでも名作なのは見終わったあと自分に跳ね返ってくることが大きいと思う。自分が遊んでいたおもちゃのことを思い出す、おもちゃが見てない時動いてるかもしれないと生活の中でふと想像する。
もちろんトイストーリーに並ぶ名作ではないと思うしそこまで擁護しないけど、自分は最後のシーンは監督なりのゲームへのリスペクトと捉えた方がしっくりくる。10時間くらい直接触れるゲームと違って、眺めるだけの映画の2時間をどうやって見ている人に跳ね返せるか。メタ逃げ(突然メタ視点を取り入れてストーリーから逃げる造語)かもしれないしけど、フィクションに浸った時間を主人公が肯定した時は、自分も「わかる」って思った。ゲームはゲームにしか体験できない価値があるからこそ、この結末になったのでは。
たしかに乱暴な畳み方だったかもしれないけど、自分はそれ以外の部分はなんの思い入れもない分ずっとCGすごいけど退屈だったので、やっと面白かった。波風立てずつくって3〜4ヶ月で忘れられるよりも、リスク取って新しいものやメッセージを作る姿勢は偉いと思った。
そんなふうにゲームやってない人にはラストで跳ね返せたとする。
けどゲームやってた人からしたらその前の部分までずっと自身の体験に跳ね返してたから反発が大きいのもわかる。けど、これ以外にどうするべきだったのかな。時間を2時間に縮めたファン向け映画で良かったんだろうか。それを決める評価基準が現状動員数しかないのであれば、こういう悲しい衝突は起こり続けそう。
終わった後の映画館で、自分の前後左右に座っていた友達同士で来てた人達の、面白くないよね?っていう予め決まっていた感想を同調圧力的に確認しあう雰囲気はしんどかった。