すごい映画だった。
過去、理不尽な暴力(ハラスメント)を受けて怒りを抱え続けながら生きている自分にとって、本作はラストも含めてまるで自分に向けられた手紙のようだった。
興行はそんなに振るってないと聞くし、いいねが大量についたレビューを見てもピンと来ない。単純に気持ち良くなりたいだけならランニングしてシャワー浴びてビール飲んだほうがいい。
この映画は、怒りや悲しみを抱えながら、それをなんとか原動力に変えて、かろうじて生き続けてる人を救う。見終わってしばらくしてからそう思った。
まず、暴力は、その一瞬で終わらない。
自分がなぜそんな理不尽な目にあったのか、あわなければならなかったのか、そこに必然を求めてしまう。毎日頭のなかで加害を受けた時のことを思い出しながら、怒りは種のように育つ。そうするうちに、その加害や傷が自分の人生を作り上げる一部のようになっていく。「脳は主語を理解しない」とも言われるが、その怒りが自分に返ってくることだってある。それらは加害者と依存関係になるとも言える。まるでカサブタをいじくりながら考えるように。加害者は真っすぐ育って、被害者は歪む。
正しい側の第三者は、カサブタをいじるのはやめろとか、忘れろとか簡単に言う。そりゃ断捨離みたいに忘れられるものなら忘れたいし、やめられるものならやめたい。それでもそんな器用には出来なくて、復讐だって考えるし、それでも自分は可能な限り加害を繰り返さないようにしたいという天秤の中でなるべく正気を保とうとしつつも、頭が勝手に思い出してしまう。過去が変わることはないし、本当の救いも必然もないことは分かっていながらそれでも怒りや悲しさを抱えて生きていく。
そしてそんな被害者も、永遠に被害者であり続けることは出来なくって、他者とコミュニケーションしようとする限り、我を忘れて簡単に加害者にもなってしまう。自分の怒りを盾に、その盾であんま関係ない他者をほぼ無意識にぶち殴ってしまうこともある。
前作の音楽は高揚感を煽り、花火のように盛大に終わるものだったのに比べて、今回の音楽はずっと静かで沸々と、煮込むようなものに聞こえた。イカせないし、終わらせない、(自分も相手も)生殺しにし続ける。
前作の「怒りのデスロード」は、それだけで見るとデスロードではあったが、怒りはそれほど受け取れなかった。本作は前作の怒りを補完する前日譚だ。そこにブチ上がるような快感はない。本作を見てから前作を見ると、ようやく怒りのデスロードが完成するのだなと思う。
この辺からネタバレあり
そして、この映画を見て、自分自身のやり場のなかった怒りが少しだけ落ち着いた気がする。復讐したい気持ちも、やり返したい気持ちもある。だけど仮にそれをして相手を終わらせても、抱えていた怒りや悲しみは終わらない。ラストのディメンタスの煽りセリフもすごい。「自分を殺しても母親や悲惨な幼少期は戻らない。復讐を果たしたら自分と同じになる」。ディメンタス自身もかつての被害者であって、理想的な復讐が果たせずに、怒りと悲しみに狂わされたキャラクターのように見えた。
それでも、フュリオサが(事実かは分からないけど)考えられうる中で最も理想的な、終わらない復讐を遂げたのを見て、自分は胸がすく思いがした。そして、心なしかディメンタスの表情も穏やかに見えたのが印象的だった。
脳は主語を理解できない。自分は、自分のことのようにあの怒りや悲しみ、そして復讐を見て、フュリオサ、そして監督にありがとうと思った。