KnightsofOdessa

ミッドサマーのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

ミッドサマー(2019年製作の映画)
5.0
[ようこそ明るい地獄へ!、或いは世界最悪のセラピー映画] 100点

大傑作。最高。暗闇の中で何かの気配を感じ取り、何かしらのアクションを起こすと急に現れたり爆音の音楽が鳴ったりすることで観客は驚く。いつからか低予算映画の代名詞となったホラー映画の擦られすぎた手法であり、何かが起こるといえば必ずと行っていいほど夜だった。夜に対しては太古の昔から潜在的な恐怖を覚えるように出来ているから、そこに体験の恐怖を上塗りすることは簡単に出来るとうことだろうか。しかし、本作品は明るい。スウェーデン中部の夏至祭の話なので、白夜と重なっていてとにかく明るい。ならば、明るいから怖くないのかというとそんなことは決してない。逆に言えば、明るいからこそ怖いのだ。彼らは異常性を隠そうともせず、昼間の明るい広場で絶望的に美しい笑顔を浮かべている。最初からヤバい集団であることは確定しているのだ。その点、ミステリー仕立てで"集団の異常性"を解いていった同様の作品『ウィッカーマン』とはそこが違っている。本作品において異常な集団のおどろおどろしさは主人公の一人であるが、メインではない。

最初のアメリカパートはほとんどが室内で、その部屋に必ずといっていいほど鏡があり、狭い空間を鏡に反射させることで押し広げている。一方スウェーデンのシーンは、ハンガリーの平野で撮影されたようで、画面手前をあるく主人公一行の後ろを踊る村人たちが映り込む感じとかはヤンチョー・ミクローシュの諸作、特に『Electora, My Love』と似ているような気がした。薄暗い部屋を多用しているのは、その後の明るいHårgaと対比させていて、逆に物語は悪い方へ落ちていく対比にもなっている。また、全編通して常に明るいどころか明るすぎるため、我々も登場人物たちも時間感覚を失い、永遠に続く悪夢に閉じ込められているような気さえしてくる。

登場するメンバーはダニ、その恋人クリスチャン、彼の友人で黒人のジョシュと白人のマークである。彼らの関係は3時間版の方が分かりやすく描かれているものの、2時間半版でも十分に伝わる。常に受動的なクリスチャンに対して、ジョシュは能動的で今回の旅で論文を書こうとしているため、ペレを含めた住民へのアプローチを欠かさない。すると、クリスチャンは横から同じ題材で論文を書こうと言ってくるのだ。無意識に黒人を搾取する白人という構図がここで見て取れる。加えて、全く本編に絡んでこないマークは、完全にアメリカンに"旅行者"であり、何の考えもなしに土足で他人の文化に乗り込んで"知らなかった"と言い張る。彼ら一行は現代アメリカの縮図だったのだ。ちなみに、前述の3時間版では村に向かう車のシーンは長尺で取られており、ここでの会話でそれぞれのキャラが大方判明する仕組みになっている。分かりやすくはなるが(特にマークは2時間半版だと空気)、村に着くまでに1時間近くかかるため、削ったとしてもやむを得ない。

本作品はセラピーのような作品だ。家族全員が悲劇的な亡くなり方をしたのに、誰も真剣には向き合ってくれない。赤の他人も、恋人の友人たちも、恋人も。村の人間がダニに対して笑顔しか向けないのは、彼女の周りにいた人間が当たり障りのない表情で、彼女を腫れ物扱いしていたことのメタファーなのかもしれない。終始明るいのは、暗闇で死んだ両親や妹を思い出すことと同じ様に、昼間から他の人間に会うことすら恐怖を覚えていることを示しているのかも知れない。そうして、周りに大勢の人がいるからこそ、殻に籠もって独りで対処することを覚えたダニが、最終的に自分を棄て去った者と対峙し、それらをまとめて焼き払うことで人生への向き合い方を会得したのだ。そして周りを見渡せば、彼女と同じく、皆等しく親密な誰かを失っていた。彼女は自分だけが"悲劇のヒロイン"でないことを理解した。彼女を妨げるものは一つもない。彼女は苦痛から解放され、130分間見せなかった満面の笑みを浮かべることで、セラピーは終了した。

I was cured all right.
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