このレビューはネタバレを含みます
言うまでもなく、視覚と聴覚が大切にされている作品。
あなたの目......と言いきる前に場面が切り替わったシーンが忘れられない。
見る側から見られる側へ、マリアンヌの変化にとっては視覚がとても起因していると思った。祭りの夜もエロイーズの姿に奪われ、彼女の幻想で白ドレスのエロイーズから見られているシーンも2回あった。"恋愛は自己の解放に結びついている"と、これは『君の名前で僕を呼んで』で痛感したことだが、彼女は自分が見られていると感じた描写(怒ると眉が上がる〜など指摘されたシーン)を堺に恋愛に正直になっていったように思う。幻想のエロイーズを含め、彼女に見られていると感じたシーンのあと、必ずエロイーズを求める描写が続いていたのも印象的だった。見る側から見られる側へ、単純ではあるがそこに彼女の人間としての変化が表れていたように思う。
エロイーズについては明らかに音だった。
この映画は圧倒的に音楽が少ない。ピアノと祭りの夜、そしてオーケストラ。
彼女が初めて笑ったのはピアノであるし、ふたりが初めて愛し合った時には祭りの音楽があった。そしてラストのオーケストラのシーン。
ラストシーンのマリアンヌのセリフ、エロイーズは「気付かなかった」のではなく、「見なかった」と言った。
「見なかった」彼女はオーケストラからマリアンヌを想い、28ページを開き、まだ彼女を求めているのではと思う。それが意識的でも無意識でも恐らくあのシーンで見てしまったら離れてしまう。これからも彼女は「音楽」からマリアンヌの全てを感じるのだろう。彼女の喜怒哀楽全てを背負った様な表情が忘れられない。
振り返ったマリアンヌはエロイーズと二度と出逢うことはないし、エロイーズは忘れられない音楽でマリアンヌをただ「思い出して」生きていく。
どこを切り取っても美しすぎる。考えれば考えるほど深い、切ない映画。
(視覚と聴覚が活かされたあの祭りの夜にふたりの感性の全てが詰まっているように感じる。)
もう1度じっくりとみたいと思う。