サクラのように実際の役者たちが演じることによって依頼者の問題を解決する会社で繰り広げられる騒動をチームプレーで切り抜けていくコメディは、最後まで相手に正体がバレずに依頼を遂行できるかという潜入捜査ものやコンゲーム的な面白さを推進力に軽快に描かれていく。
それは前作「カメラを止めるな!」も同様で、作品の構造でまず観客を騙し、その種明かし後もますます映画は加速度的に面白さを増していく。映画は所詮ウソの世界だが、そのウソをホントだと信じてもらえるように作り手と演者が作品に込める熱量や魂が多くの観客の心に響いたのだ。
本作もそれは同様だ。誰かを騙すために稽古してそれを遂行する風景は、ゾンビ映画をなんとか完成させようと四苦八苦するクルーと同じだ。そして最後に作品の根底をも揺るがすどんでん返しが待ち受ける。
だが、本作の場合、そのどんでん返しが完全に裏目に出ていると言わざるを得ない。劇中で描かれできた騙す騙されるの範囲が最後に拡大することによって、例えば主人公の弟の優しさが浮き彫りになったり、新たな面白さが生じたりすれば、作品の構造として効果的に機能していると言えるだろう。
だが、本作は依頼者の依頼を解決していくプロセスと、コンプレックスを抱える主人公が役に立つことによって成長していくというプロセスが、緩いうえに粗も目立つ雑なプロットではあるものの一応並行して描かれるため、せっかくの成長物語が結局は自力ではなく他者のアシストの上で成り立ったヤラセであり、それ故に全ての積み上げがジェンガが崩れ落ちるように無になる感覚に陥ってしまう。
また。この取っ付きにくい主人公が結局は道化として踊らされていたというふうにしか見えず、そもそも好きになれない主人公が不憫にさえ思えてくる。騙されたことで思わず膝を打つような痛快感もなく、この宙ぶらりんになった感情をどこに向ければいいのだろうか。