にしやん

鉄道運転士の花束のにしやんのレビュー・感想・評価

鉄道運転士の花束(2016年製作の映画)
4.0
不可抗力且つ宿命的に人を轢くことを避けられない鉄道運転士という「無実の殺人者」たちの悲哀と誇りを、セルビアのローカル鉄道を舞台に、鉄道運転士父子への深い愛情を持ってユーモラスに描いたヒューマンドラマやな。

ちなみの本作、セルビアとクロアチアの合作や。1991年から10年近くにも及ぶ内戦のことを考えたら、この両国の合作作品っちゅうんも感慨深いもんやな。戦争してたもん同士かて、やろうと思たらできるねんって。そういう意味でも映画ってええもんやな。

地味ながらもなかなかよう出来た映画やな。まずプロットが大変ユニークや。プロットがええっていうんはええ映画の必須条件やもんな。そういう意味ではこの映画はバッチリやわ。

まず、映画の冒頭のナレーション。これだけでも、これからこの映画が何をしたいんかがよう分かる。セリフは一瞬冷淡に聞こえるかもしれへんけど、その奥には人間へ深い優しさと悲しみがあるわ。それから、事故を起こした主人公の初老の鉄道運転士とカウンセラーとのシーンかて秀逸や。無感覚、無感情に話す主人公のほうこそよっぽど尋常やないやろ。このシーンやけどグロテスクなセリフの中にも、ユーモラスなところがあって、これから始まるこの映画はこういうことやりますからってことを、鉄道運転士の矜持みたいなもんと併せて観てるもんにストレートに伝えてる。

タイトルの「花束」って、事故を起こした運転士が事故の死者の墓碑を訪ねて供える花のとや。主人公にとっては事故のたんびに、献花を繰り返すんが一人前の運転士の姿やということかもしれん。

そんな主人公には、あるきっかけで施設から引き取った養子がおって、その息子の成長物語としての側面もこの映画にはある。この人情もんとしての魅力があるさかい、「人を轢く」というある意味酷く深刻なことを描いているにも関わらず、観てるもんに映画を受け入れやすくしてるわ。その辺りもストーリーの構成としてよく練られてる。

その男の子が成長して養父と同じように鉄道運転士になろうとすんねんけど、主人公はそれを最初めっちゃ反対すんねん。人を宿命的の轢かんならん職業に息子を就かせたないってことや。それに主人公には、鉄道事故に関してとりわけ悲しい個人的な悲劇も抱えてんねん。そりゃな、息子にそんな思いをさせとうない親の気持ちかてよう分かるわ。それでもな、息子はオヤジの反対押し切って、鉄道運転士を目指すことになってまう。このきっかけになったエピソードのシークエンスもなかなかよう出来てるわ。ここの緊迫感はリアリティがあって凄かった。鉄道運転の厳しさ、恐さが一瞬でわしらにも身に染みたな。

終盤、人を轢くという宿命や悲しさを受け入れてそれを乗り越えてきた初老の運転士は、「無実の殺人者」とはいえ人を轢き殺すという一人前の運転士への通過儀礼に対する恐怖心に怯え、発狂寸前の息子を何とか救おうとすうんねんけど、この主人公のとった行動は、ひどく滑稽でもあり、悲しくもあり、優しくもあり。何かわし等の人生そのもんのような気もして身につまされたわ。

監督・脚本はともにミロシュ・ラドヴィッチという人や。カンヌの短編部門で受賞経験もあるみたいやな。どうやってこんなユニークなストーリーを思いついたのかと思たら、蒸気機関車の運転士やった自分の祖父をモチーフにしてるねんな。実際17人もの轢死者を出して「チャンピオン」と呼ばれてたらしいわ。ちょっと奇想天外かなと思える話の中に、不思議なリアリティがある訳が分かったわ。なるほどな。

自分の祖父の実際のエピソードをモチーフに、それを安もんのメロドラマにはせんと、温もりと毒味のある人生喜劇へと昇華させる腕前は見事なもんや。死を描くことでしか生を描くことはでけへんということをあらためて感じたわ。秀作や。
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