サマセット7

Winnyのサマセット7のレビュー・感想・評価

Winny(2023年製作の映画)
4.5
監督は「Noise」「ぜんぶ、ボクのせい」の松本優作。
主演は「桐島、部活やめるってよ」「寝ても覚めても」の東出昌大。

[あらすじ]
2004年、ファイル共有ソフト「Winny」の開発者である金子勇(東出昌大)が、著作権法違反幇助(他者の著作権法違反を手助けしたという罪)の容疑で逮捕される。
サイバー犯罪に詳しい弁護士の壇俊光(三浦貴大)は逮捕前に「開発者が逮捕されたら弁護します」と話していたことをきっかけに、弁護団を結成し弁護を受け持つことになる。
それは、長期間に及ぶ、理不尽な刑事裁判の始まりであった。
果たして「犯罪に使われた包丁を作った者」は、罰せられなければならないのか・・・。

[情報]
2018年開催のCAMPFIRE映画祭のグランプリ獲得企画が映画化されたのが今作である。
CAMPFIREとは、クラウドファンディングの名称。
同映画祭はCAMPFIREを利用して事前に資金を調達したクリエイターが、審査員にプレゼンして評価を競い合う、というものだったようだ。
資金調達のされかたが、いかにも現代的だ。

題材となっている「Winny」とは、2000年代初頭に掲示板サイト2ちゃんねるなどを介して流行した、無償で公開されたP2Pファイル共有ソフトの名称である。
P2Pとは、情報を集約するサーバーなしでデータを共有できる、くらいの意味で理解したらいいか。
「Winny」は匿名性を備えていた上、利用が簡易だったため流行したと思われる。
しかし使い勝手の良さ故に悪用されることもしばしばあり、さらにWinnyを使用したPCに、Winnyで流通したファイルに仕掛けられたウイルスが感染して、企業や官公庁の情報漏洩の引き金になるなどして、大きな社会問題として報じられた。
当時の報道のされ方は、あたかもWinny自体がウイルスであるかのようであった。

今作は、Winnyの開発者である金子勇氏が2004年に逮捕起訴された、実在の刑事裁判を描いた作品である。
金子勇氏、壇俊光弁護士をはじめ、主要な役名に実名が用いられている。
最近の時事問題を扱った日本映画の中でも、かなり踏み込んだ作品と思われる。

今作は、刑事裁判の法廷における描写をメインとした作品である。
法廷のやりとりは実際の公判記録を参照して作られたとされている。
法廷描写は壇俊光弁護士本人が監修しているほか、松本監督や主演の東出昌大は金子氏の遺族や関係者に当時の話を聞くなどして、役作りや脚本作りを進めたとされる。
日本の刑事裁判をリアルに描いた作品としては、周防正行監督の「それでもボクはやってない」が著名だが、同作がフィクションであったのに対して、今作は実在の事件をもとにしている点に新規性がある。

公開初日に鑑賞したため、興行成績や評価は不明である。

[見どころ]
日本映画史を更新するリアルな法廷描写!!
特に、実在の弁護士・秋田真志(演じるのは吹越満)による、実際の尋問を再現した反対尋問!!!
主演、東出昌大による、凄まじい熱演!!!
途中から金子氏にしか見えない!!!!!
入魂の最終陳述!!!!
全編に浮かび上がる、金子勇氏に対する愛情と哀惜!!!
これ以上真摯に事実に向き合った現代日本映画が、これまでにあっただろうか・・・。
闇が深すぎる刑事司法、日本社会の出る杭を叩く風潮、日本の未来に対する警鐘など、いろいろなことを考えさせる、深いテーマ性。

[感想]
東出さん、凄すぎる!!!!!
マイナスイメージを吹き飛ばす名演であろう。
写真や映像などで見る金子勇氏に、しっかり見える!!
挙動、目の動き!純真さや無垢さの表現!!!
役者って凄い!!!

今作は、基本的に淡々と事実を追う映画である。
おそらくは、実際の出来事や現存する関係者に配慮し、無用なドラマ的な表現や、極端な改変は避けているのであろう。
そのため、そもそも純粋なエンタメ作品として作られていない。
その結果、いくつかの場面では、恐らくは故意に、映画的な盛り上がりが抑制されている。
ユーモアと思われるセリフなども、今見て素直に笑えるものはほとんどない。

とはいえ、エンタメとして成立していないかというとそうではない。
金子勇というプログラマーが、なぜ、「Winny」というツールを作ったのか。
彼はどのような人物なのか。
そしてWinnyとは何なのか。
観客は、弁護士や裁判官、傍聴人と同じ立場で、これらの「謎」に向き合うことになる。
おそらくは、若い監督をはじめとする作り手たちも同じ気持ちで映画作りに取り組んだのではないか。

リアルに作られている分、なおさら裁判のシーンは緊迫感が漂う。
特に、レジェンドとされる秋田弁護士による主任格の警察官に対する尋問シーン!!
吹越満と渡辺いっけいという、今作でも特に演技巧者の二人の演技合戦でもあるが、二人とも抑制された演技で素晴らしい。
これが実際の法廷で行われたというのだから、すさまじい。
「ウソをつかせてピンで留め、その後に矛盾を突き付ける」というリアルな反対尋問の構造が、映画で語られたのは、洋邦を問わず、稀有ではないか。
今後、日本映画の法廷描写に関して、一つの基準となり得る作品なのは間違いなかろう。

全編にわたって感じるのは、作り手の、金子勇という人物に対する哀惜の念である。
ひとつひとつの表情、所作、言動の再現の細やかさは、あまりにも早くこの世を去った人物に対する無念の気持ちを感じさせざるを得ない。
今作は決して華々しいエンタメ作品ではなく、大々的に社会問題を言い立てるわけでもなく、あくまで焦点は金子氏の人間性に当てられている。
その結果、全編にどこかこじんまりとした私的な情緒が漂うが、今作に限っては美点となっているように感じた。

全体として、私は、非常に真摯に作られた作品と感じた。
特に実名の採用、事実のリサーチ、法廷の再現度、テーマの深みにおいて、邦画としては革新的といっていい部分があると思う。

[テーマ考]
今作は、日本の未来を変えたかもしれない一人の天才技術者が、権力機構によって、無残にも人生の多くの時間を奪われた事実を描いた作品である。
早くにこの世を去った金子勇氏に対する哀悼そのものがテーマといえるかもしれない。

他方、今作では、Winny事件と同時期に問題となった愛媛県警の裏金事件も並行して描かれている。
二つの事件から、全体として浮かび上がるものは何か。
出る杭を打ち、臭いものにふたをし、なあなあで処理してしまう、日本社会の淀んだ「空気」としか言いようのないもの。
その結果、日本から、革新性や創造性という大切なものが失われてしまったのではないのか。
社会に対する警鐘もまた、今作のテーマと言えるだろう。
特にネット社会が到来しているにもかかわらず、日本発のイノベーションが生まれなくなって久しい現在だからこそ、このテーマは重い。

その他、悪名高い日本の人質司法の問題性、新しいものやわからないものを、とりあえず悪と切り捨てることの普遍的な問題性なども考えさせられる。
新しい何かに挑戦することに、よくわからない基準で逮捕されてしまうリスクがあるならば、イノベーションなど、起こりようがない。
作中、金子氏はプログラムの改善を申し出るが、新たな逮捕の引き金となることを憂慮されて改善を止められる。
このテーマに照らすと象徴的だ。

職業人としては、頭を回転させ、諦めずに粘り強く戦う弁護士たちの姿には勇気づけられる。
劇中にもあるが、辞めてしまうのは簡単だ。
百数十万円の罰金を払えば終わりだ。
それでも、闘うことに意味はあったのか。
無意味だとすると、あまりにも哀しすぎる。
闘った者に、意味を与えるのは、生者の仕事だ。

今作で受け取るべき教訓は数多い。
しかし、1番はこれだ。
警察に呼ばれて、調書に署名しろと言われても、ほいほい署名してはいけない!!
必ず事前に弁護士と相談しなさい!!!

[まとめ]
実在の事件をもとに真摯に事実と向き合った、リアルな法廷劇の労作。

副読本として、壇俊光弁護士自身の著作によるノンフィクション小説「Winny:天才プログラマー金子勇との7年半」も、事実の記録として大変読み応えのある作品である。
今作には原作としてクレジットされていないが、壇弁護士が監修している以上、おそらくは参考資料とされたのではないか。
なぜか書店では見かけないが、電子書籍化されているので、一読をおススメしたい。


[追記]
上記のように、私は今作を事実を踏まえた革新的な法廷劇と評価しているし、重要なメッセージが込められた作品と考えている。

だが、今作で触れられた事実が、あくまで弁護側の立場から見た「事実」であり、また、7年半に及ぶ裁判の膨大な記録の中で、ごく一部を抜粋したものにすぎない点は注意を要するだろう。
Winnyユーザーにより自己の著作権を侵害された人の立場からは別途言いたいこともあろう。
Winnyの機能や著作権侵害の実状については、当然、裁判でも重要な争点になっているはずだが、今作ではほぼ触れられていない。

また、地裁、高裁、最高裁でそれぞれ分かれた「幇助」の判断基準についても、今作では触れられていない。
法律の規定があいまい過ぎ、最新の技術革新が、是か非か、開発者視点からは判断できない、にもかかわらず、いきなり開発者の逮捕、起訴という強行手段に出るのは性急に過ぎた、というのがWinny事件の最大の問題点であろう。
この点は、今作を見ただけだとピンとこないかも知れない。

これらの描写の欠如は、今作の欠点ではなく、作り手の取捨選択の結果である。
言いたいことのために、必要な描写を絞るのは、尺の制限のある映画である以上当たり前のことだ。

である以上、今作のみをもって、Winny事件の全てを理解した気になり、開発者は何をしてもいい!と思い込んだり、開発行為を全面肯定するのは危険だ(言わずもがなだが)。
Winny事件後も、最高裁の示した基準を逸脱する開発行為は、依然として幇助罪に問われる余地がある。
そして、その基準は決して明確なものではない。
作中でも、あらゆる開発行為を「倫理的に」全肯定する描写はされていない、と思う。
今作は、あくまで、「法」で開発行為を規制することの難しさを意識する入り口、と考えるのが吉であろう。

あと、今作の女性の描き方に対するジェンダー論的批評を読んで、なるほどもっともだと思った。
今作では、秘書?的な立場の女性が弁護団の会議に参加して、基本的な法律用語や解釈などについて、質問を挟み、それを男性弁護士たちが解説する、という会話が頻出する。
おそらく実際にはこのような会話は存在しない。
観客に対する用語解説のために設けられたキャラクターと台詞回しなのであろう。
この女性以外に今作に登場する女性キャラクターは、金子氏の姉のみである。
こうした描写が「知識ある男性が、無知な女性に教えてあげる」という男性優位的ステレオタイプを踏襲したもの、という批評は鋭い。

説明役と聞き役を設定する際の、作り手のジェンダーに関するバイアスの問題はもちろんある。
ひょっとするとキャストの男女比に対する「忖度」もあったのかもしれない。

それ以上に根深いのは、おそらく、当時の法曹界は、多くが男性により占められており、他方で秘書的な立場は、ほぼ女性により占められていたであろう、という事実の方だ。
作中で、弁護士も、警察官も、検察官も、裁判官も、皆男性だ。
当時、といっても2000年代の話なので、それほど過去の話ではない。

では作り手はどうすればよかったのか。「正解」を導き出すのは、実話ベースだけになかなか難しい。
少なくとも、現代において作り手は、性別や人種のステレオタイプ的な描写について、意識的でなくてはならない、とは言えるだろう。

鑑賞後、批評などを読んで考えた雑感を追記したが、今作の評価に変わりはない。
様々な議論の前提になり得る、という意味でも、今、観るべき作品である。