チョマサ

生きるのチョマサのネタバレレビュー・内容・結末

生きる(1952年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

高校の頃にレンタルDVDで見たときは、音も映像も悪いし、ジジイが死んで泣かせるだけの話かよとか、古い日本映画を見慣れてなかったこと、テンポがあわないこともあって、つまらなくて寝てしまった。

今回4Kリマスターで映像に加えて、音声も質が向上して聞き取りやすくなっていた。あらためて見ると、いろいろな工夫が凝らしてあって、おもしろかった。

まず冒頭のナレーション。胃がんですと観客に説明するのはまだ分かるけど、そこから主人公を扱き下ろしていくのは、高校の頃はなんとも思わなかったけど、いま見ると斬新なことやってるよな。

診察結果を待つ場面でも、近くにいた男が、胃がんの説明をするときも、段々と渡辺に近づくように話していたのは気付かなかった。座ったまま動かないで喋らせると見ている側としてはつまらないから、こうして意外と動かせて話させてるところが多かったな。見ていて退屈にならないようにアップやカットなど細かく気を使ってる。
動きでいうと、夜通し遊び歩いて、家に朝帰りする場面。小学生が渡辺の横を走り過ぎていくのだけど、よく見るとコマを抜いて実際より早歩きさせてる。脚の動きを見ると妙に速すぎる。

夜通し遊び歩く場面も、当時の風俗が分かって面白かったな。パチンコとかあんな簡単な作りのやつなのかとか、ストリップやバーやクラブや通りの様子とか興味深い。
ダンスホールの撮りかたもおもしろかった。ピアノの真上に鏡を置いて、それでワンシーンでカットを割らずにピアニストの顔を映したり鏡からカメラが引いていくと、構図をスムーズに変えて撮ってたりと、この使い方がうまい。『セクシーボイスアンドロボ』って漫画の車の場面は、こっから影響されてるのかな。

音の使い方も上手い。渡辺が役所の仕事に生きがいを見つける場面で、隣でやってた誕生日会のハッピーバースデーの合唱が流れる所や、ダンスホールで『ゴンドラの唄』をリクエストして、渡辺が歌うことで、それまでの空気をがらりと変える所とか。ラストの公園の場面よりも、このダンスホールの『ゴンドラの唄』のほうがいい。

渡辺が生きがいに目覚めたところで、唐突に葬式に映る場面も、なんでここで変わるか不思議だった。そのあとで部下たちが渡辺について回想するのを見て、公園を作るまでの課程を順に見せるよりも、葬式の通夜での回想としてまとめることで、散漫になるのを避けてることに気づいた。

ぶっちゃけラストの役所職員たちや自分のことばかりで理解しようとしない、話を聞かない息子夫婦と嫁の両親は、コメディ要因とムカつく悪者の両方として撮ってると思う。最後の役所の世界を描くのは、見てて楽しくないし、いらないとは思う。

小田切みきもいいんだけど、伊藤雄之助がよかった。なんかメフィストみたいだなと思ったら「メフィストフェレスになりましょう」ってズバリ言ってるのには笑った。骸骨みたいな顔をしてて遊びを教えるんだけど、それでも死ぬことを意識してしまう渡辺に、たじろぐのもいい。

渡辺が息子との生活を思い出す回想のあと、息子に話そうとしたら、部屋の明かりが消える断絶感もいい。

役所の世界の描き方(公園を作るにも金が掛かるし、いろいろ大変だろうから。市民からしたらそんな事情は知ったこっちゃないが)は説教くさいし、いい話すぎるきらいもあるが、当時の風俗や笑えるところも多い。分かりやすい気もするけど、面白いし、傑作だと思います。
チョマサ

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