ともぞう

生きるのともぞうのレビュー・感想・評価

生きる(1952年製作の映画)
4.6
事なかれ主義で生きてきた公務員の男がしゃにむに公園作りに邁進し始める。ガンで余命いくばくもないことを知り、その仕事を全うすることを決めて実現する。葬式の場ではその主人公の思いに打たれていた同僚だったが、その翌日にはいつも通りの日常が待っている。単純な美談で終わらない最後のひねりが素晴らしい。これを60〜70年前に撮っていることに感心。さすが、世界の黒澤明。

〈あらすじ〉
某市役所の市民課長渡邊勘治は30年無欠勤という恐ろしく勤勉な経歴を持った男だったが、その日初めて欠勤をした。彼は病院へ行って診察の結果、胃ガンを宣告されたのである。夜、家へ帰って2階の息子たち夫婦の居間に電気もつけずに座っていた時、外出から帰ってきた2人の声が聞こえた。父親の退職金や恩給を抵当に金を借りて家を建て、父とは別居をしようという相談である。勘治は息子の光男が5歳の時に妻を失ったが、後妻も迎えずに光男を育ててきたことを思うと、絶望した心がさらに暗くなり、そのまま街へさまよい出てしまった。屋台の飲み屋でふと知り合った小説家とそのまま飲み歩き、長年の貯金の大半を使い果たした。そしてその翌朝、買いたての真新しい帽子をかぶって街をふらついていた勘治は、彼の課の女事務員の小田切とよとばったり出会った。彼女は辞職願いに判をもらうため彼を探し歩いていたという。なぜ辞めるのかという彼の問いに、彼に「ミイラ」というあだ名をつけたこの娘は「あんな退屈な所では死んでしまいそうで務まらない」という意味のことをはっきりと答えた。そう言われて、彼は初めて30年間の自分の勤務ぶりを反省した。死ぬほどの退屈さをかみ殺して、事なかれ主義の盲目判を機械的に押していたに過ぎなかった。これで良いのかと思った時、彼は後いくばくもない生命の限りに生きたいという気持ちに燃えた。その翌日から出勤した彼は、これまでと違った目つきで書類に目を通し始めた。その目に止まったのが、かつて彼が付箋をつけて土木課へ回した「暗渠修理及埋立陳情書」であった。やがて勘治の努力で、悪疫の源となっていた下町の低地に下水堀が掘られ、その埋立地の上に新しい児童公園が建設されていった。市会議員とグルになって特飲街を作ろうとしていた街のボスの脅迫にも、生命の短い彼は恐れることはなかった。新装なった夜更けの公園のブランコに、一人の男が楽しそうに歌を歌いながら乗っていた。勘治であった。雪の中に静かな死に顔で横たわっている彼の死骸が発見されたのは、その翌朝のことであった。
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