磔刑

クイーン&スリムの磔刑のレビュー・感想・評価

クイーン&スリム(2019年製作の映画)
1.5
おススメ度☆☆
聖ジョージ・フロイドを応援する勢力視点で描かれた偏った思想の作品。それはそれで物珍しいので、それなりの価値がある。
ただ、逃避行モノとしてはテンプレ中のテンプレで、エンタメ的楽しさは皆無。邦画の『悪人』と似て、当事者の意思に反して外野が必要以上に騒いでる作品。ただ、視点は当事者なので、なぜそこまで騒げるのかが不明瞭で、余計に啓発性が薄い。
<以下ネタバレあり>



「聖フロイドちゃんの命の輝きを見よ!!」

思ったよりストレートに頭おかしいヤツやった。というか、この手の黒人の病的な被害妄想、想像性が欠如した暴力性って日本人には理解できないんですよ。

まず、逃避行モノとしてはありがち、テンプレ。目新しさ皆無。ホンマ散々見てきたヤツ。なんか、そういうのを黒人主演でやったら評価される、評価されたい、評価したらリベラルとして箔がつく。みたいな錯綜する打算的な思惑がウンザリする。
どう考えてもただ昔からあるテンプレートを使いまわし、そこにエグい思想の味付けしてるだけで、映画としての完成度は決して高くない。

で、逃避のキッカケもテンプレ中のテンプレ。不可抗力。殺された相手に非がある。正当防衛。
なんか、そうすれば逃避しても許されると思ってる短絡性、脚本能力の無さに呆れる。単純に逃避行モノのキッカケ、感情移入、動機を溜飲のし易さの役割としての目新しさが無い。そもそも新しいモノを作り出す気概がない。

思想的にも如何なものかと思う。確かに白人警官は傲慢で横柄だが、殺していいモンなのか?何より殺して開き直っていいモノなのか?殺人は殺人じゃないのか?訴えたいことがあるなら裁判ですればいい。犯した罪は償ないといけないんじゃないのかぁ?

それに、もうね。この手の作品のキッカケとして見飽きたよ。白人警官が黒人の乗った車を止めて、スゲームカつく理由で射殺するの。なんか、これが黒人が正義である免罪符として使われて過ぎでしょ。そういう、悲しい事件があったとしても、今となってはプロパガンダの安易なテンプレになってて、逆効果に思える。
この形以外でも問題提起できるだろうし、差別問題を説得力を持って描けるはずなんだけど、その努力を怠っていること。“差別される黒人の特権”にあぐらをかいか態度が鼻持ちならない。

要するに深みがない。

逃避した2人に一部市民が共感するんだけど、なぜ共感するのかの部分が説得を持って描かれていない。
2人の視点から見てた自分でも、せめて減刑ぐらいは、と考えはするけど、それでも逃げたらそれすら叶わないでしょ。憎い白人警官だったら殺しても無罪放免なんや!!!ってヤバイ思想が前面に押し出されてるのがヤバイ。

明らかにジョージ・フロイドを意識して作ってるけど、あの犯罪者(前科モリモリ太郎だからそう呼ばれても仕方ないよね)は殺されたから聖人に祭り上げられたけど、流石に今作みたいに返討ちにして逃避したとして、マジで黒人は応援するのかぁ?そこまで黒人ってバカかぁ!?って思うし、逆にネガキャンしてんじゃねーか?って思う。

ホンマに浅いなと思ったのは、クライマックスね。もう、逃避行モノで散々見たテンプレ構図。つーかいくらなんでも撃たんやろ。初撃で仕留めた女警官もなぜ撃ったし?その後に女抱えて歩いてきて、撃つか?そんな白人警官ってヤベーのか?事の発端も、それの元になった聖フロイドも警官の軽率で必要以上に攻撃的な行動が発端になってるのに、なんでクライマックスで同じことすんの?フツー撃つことにナーバスになるハズだがね。
まぁ、2人も逃げるに至って罪に罪を重ねてるから自業自得な部分はあるけどね。

あとは裏切った黒人ね。こーゆー黒人もいますよ!!深いでしょ!!感がね。見たよ!この手の作品で散々見たテンプレ展開だよ!!全然深くないよ!!どーせそうやと思ったよ!!

何よりアカンのは逃した黒人警官ね。せめて説得しろ!!「減刑の余地がある」とか、「このままじゃ殺されるぞ」とか!!!なに盲信全力で幇助しとんねん!!
黒人を差別する白人警官は悪で、黒人の犯罪を手助けする黒人警官は善ってなんやねん。どっちもどっちやろ、そんな自分の思想で法を曲げるヤツは警官して欲しくないわ。

それに逃避行としても愚だよね。逃げるにしても、特に特別なアイディアや目を惹くアクションはない。基本的に車でダラダラ走る、時たま人に助けてもらうの繰り返し。なので、警察が迫り来るサスペンス、緊張感、危機感が終始薄い。やたらとする寄り道が特にそう思わせる。いくらなんでも寄り道し過ぎやろ。

逃げるにしても、その中での葛藤や変化、成長もないというね。自分たちの行動がデモのキッカケになってても特に気にかけてないし。そもそも逃げること自体が罪から逃れる以上の意味がない。
つまり、外野が「彼らの行動は差別への抗議の意思だ!!」とか、言っても本人たちは「牢屋入れられんの嫌やからさっさと逃げよー」ぐらいにしか思ってないんよ。その証拠に、彼らに過剰に感化されたイカレたガキが警官撃ち殺し、それを知るんやけど、知っても別に悩まなしい、行動に変化ないんよ。「ほーん、それちょっと話しただけのガキやし、知らんがな。さ、サッサと逃げよ😉」みたいな。彼らの行動と反差別の意思が1つなら、自分の行動によって、他者か過ちを犯したら「なんてこった!自分のした軽はずみな行動がそんな大ごとになるなんて!!こりゃ自首した方がええやろ!!」みたいな変化が起きたりすると思うねん。結果、逃避を継続するにしても最低でも葛藤はして当然。でも、それが無く、その出来事も意に介さないのは、彼らの行動には意思や信条がないからだと思う。

だから、そこを“好意的に”受け取るなら、聖フロイドの一件を揶揄してるのかな?とも思う。フロイドを聖人に周りが祭り上げても、聖フロイド自身はこれっぽっちも反差別の意思なとなかった。ただ、自分の犯罪の成功に奮起していただけだと。

まぁ、この手の定期的に噴出する差別問題を描いた作品はなるべく公平であろうとするけど、これほど黒人に肩入れするのも珍しいよ。逆に尖ってて、それはそれで良いとは思う。
ただ、その思想は自分は受け入れられないし、逃避行モノの作品としては二流なので映画としての出来は良くないと思います。

『ヘイト・ユー・ギブ』や『ルース・エドガー』、『ブラインドスポッティング』みたいに事件そのものだけでなく、それらが起きる環境や背景、社会構造の複雑さを描かず、聖フロイド爆誕のセンセーショナルな部分だけを切り取ってるのが特にナンセンス。そして聖フロイド爆誕同様、片方の感情を煽り、他の犯罪や過激な暴動を扇動することは反差別、非暴力と真反対の行動でしかないと思った今日この頃。
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