磔刑

インセプションの磔刑のレビュー・感想・評価

インセプション(2010年製作の映画)
5.0
オススメ度☆☆☆☆
2000年代最高のエンタメ映画の一本。
ただ設定が凝り過ぎているので人を選ぶ。同監督の前作『プレステージ』(こっちも面白いかららオススメ)で肩慣らししてから臨むのが吉。
エンディングの解釈が観る人によって分かれる系なので一人ではなく複数人と見た方が鑑賞後も数倍楽しめます。
クリストファー・ノーランの最高傑作の内の一本なので、できることなら死ぬまでには観ておきたい作品です。
<以下ネタバレあり>











映画史の名ラスト・トップ10には入る素晴らしいラストカットは何度も見ても色褪せない。

駒が止まったか回り続けるかは見た人の捉え方次第というのも作品のテーマに合致した素晴らしい演出。
当時、一緒に観た友人とも答えを二分したのはいい思い出だし、それだけ優れたエンディングという証拠だ。

個人的には当時から駒は止まった派。
コブ(レオナルド・ディカプリオ)がリンボに囚われた嫁のモル(マリオン・コティヤール)を連れ戻した経験から言っても、サイトー(渡辺謙)を無事に帰還させることは十分に説得力がある。加えて嫁を自ら撃ったことや、クライマックスでの会話からしても暗い過去との決別は果たせていた。もし彼がリンボに堕ちたのなら嫁との決別は果たせていなかった筈である。
それでもバッドエンドであってもそれはそれで優れたエンディングなのは間違いない。グッドと捉えるか、バッドと見るかは本当に見る人の感じ方次第だが、どちらにしても優れている点が今作が唯一無二の傑作である証拠に他ならない。

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ギミック重視のノーラン作品の中でも特に設定が凝っていて世界観だけでも楽しめる。
特にトーテムとキックの設定が良く出来ている。

トーテムは先述のラストに直結するガジェットとして有能。今作の唯一のヴィランと言えるモルがなぜ手強いかを象徴している。
コブが唯一現実と夢を識別するトーテムを嫁と共有しているからだ。つまりヒーローとヴィランが表裏一体であることがゆえに強敵であることを表している。
更には元々あのトーテムがモルの物であることから、コブが彼女を忘れることができない=彼女に打ち勝つことが初めから出来ないといえる。それにトーテムは彼女を殺した道具でもあり、夢(モル)を看破する手段がすでにコブを苦しめる象徴であることから現実に戻ることがいかに困難か、モルが道中を邪魔する悪役としていかに一筋縄で行かないかを表している。

キックも夢から覚めるトリガーとして視覚的な面白さがある。それと同時に誰でも経験のある寝ている時に落ちる感覚になるジャーキングと似た事象なので感覚的にも捉えやすくなっている。
作中内で何階層か判別がつきにくいとされているが、階層ごとのキックのアクションが明確なので識別する記号としても優秀。
そのキックの幾つもの派手さが作品に独特な華を添えてるし、バンの落下が次の階層に無重力として影響を与えるのも作品独自の設定のユニークさを象徴している。

他にも細かい面白設定は無数に存在するけど、それがどれも死に設定になっていないのが本当に凄い。
そもそも夢を共有する装置がどういう原理か全く分からないし説明もされていないが、その曖昧さを補強するだけのエンタメ的な説得力、フィクションに自然と順応させるパワーがある。
前作の『プレステージ』がマジシャンを題材にしてることから、ノーランのストーリーテリングにはミスディレクションが使われてるのは明らかで。設定不足や矛盾は確かにあるが、数々の面白ギミックにより上手く煙に巻いている。

相変わらずマイケル・ケインがいい感じのエンディングへの案内人になってるのが草生える。
フラッシュバックが多すぎるのが、ちょっと安っぽい印象を与えるのが数少ない欠点の一つ。
『メメント』の時からずっとクライマックスからストーリーが始まる構造は相変わらず。設定は毎回気が利いてるが、物語の構造はずっと一緒。今作がその構造の完成系と言っていいだろう。

何にせよ最高にエンタメ映画。
こういう独創性があって、時代の価値観に左右されない不朽のエンタメ映画は滅多に出て来ないので、ノーランには畏敬の念を抱かずにはいれません。




【サイトーとコブは最後どうやって戻ったか?】

そもそもリンボの設定が明確でないし、基本設定も完璧に理解してる訳じゃないので雰囲気の憶測。

薬が効いてる間の死亡は更なるリンボに堕ちるので、基本的には現実でキックしてもらうか、薬が切れてから自死するかのどちらか。 

A:サイトーが老化していたことから、もうすでに薬の効果が切れていた可能性がある。それなら銃での自死でも起きることができる。コブもそのタイミングを見計らってサイトーに会いに行ったとも考えられる。

B:現実でキックするのはアリアドネが既に現実に戻っていることから、コブがサイトーのためにリンボに止まったことがアーサー達に伝えられており、それなら音楽によるキックの合図を送るのは容易い。

飛行機の着陸直前にコブとサイトーが起きてたことから、自分的にはA説が有力?

あとリンボ堕ちの矛盾を挙げるなら、夢に落ちたときはいつどうやって来たかがスッポリ抜け置いてるけど、機内で目覚めた時のコブのリアクションは今までの事象を記憶してたように見える。まぁ、見えないように見えると言われればそうとも言えるが。
でも仮にリンボでサイトーに殺された?とかなら戻った機内でサイトーが電話するとか細かい整合性とるかな?勿論肯定否定両方のミスリード狙ってるからどうとでも捉えれるけど。

もちろん、それらを説明できる要素は無いし、拡大解釈を強いられるが、それはあえてバッドエンドの可能性を残し夢か現実が曖昧にしているから仕方ない。あくまで今までのキャラクターの行動、ストーリーの進み方、テーマの帰結の結果を観客が導き出した回答に委ねられているからだ。

それでもコブはリンボに対する理解と耐性があり、リンボの権化であるモルを乗り越えれた成長からサイトーを連れ戻せて当然かなと。

サイトーとモルの体験したリンボは同一ではないがコブがリンボに耐性があるのは間違いないし、だからこそ長い間サイトーのリンボを彷徨っても自我を失わなかったのだろう。



【そもそも最後の駒は重要ではない?】

コブが駒の行末を見届けなかったのは、現実か否かではなく子供達が重要だからだ。
それでも観客としては夢か現実かで受け止め方が違ってしまうんですけど……。

なので駒が止まったかどうかはエンタメ的なオチ。
テーマの帰結は子供に向き合えたことで完成している。それが夢か現実かに限らず。その極端な両天秤でも納得できる構造なのは大したものです。

駒の動きではなく、子供の成長で判断した説もあるけど、あの時のコブがそれほどクレバーに思考してるのはテーマ的にもズレてる気がします。
少なくとも彼は残された家族と過ごすことに迷いがなくなった。それが夢であっても…ということでしょうね。

自分は現実派ですが、それだけ最後のコブの親としての決断は作中内でも最も重いと言うことです。
磔刑

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