磔刑

ドラゴンボール超 スーパーヒーローの磔刑のレビュー・感想・評価

4.0
オススメ度☆☆
ドラゴンボールシリーズにそれなりの理解度が無いと楽しめない。しかもレッドリボン軍とかいうオールド感溢れる敵に圧倒的主人公の悟空の不在でまさかのピッコロが主役に大抜擢と、全てのチョイスがニッチ過ぎる。
過去の映画シリーズと比べても“映画”としての完成度は間違いなくNo. 1なので個人的には評価してますが、それでもシリーズファン向けであるのは間違いないです。
<以下ネタバレあり>









まさかの普通に面白いっていうね。
ドラゴボ映画ってほんとに脚本がクソゴミなんだけど、今回は地に足のついたストーリーで普通の“映画”として楽しめた。
これは主人公をピッコロにしたことが功を奏している。
登場したときからピッコロは地球の危機が及んだときの為に特訓に勤しんでおり、その常日頃からのその後のヒロイックな行動に説得力を持たせている。更にパンの親と言っても過言ではない子煩悩な姿には人間的な魅力がある。この2つのキャラクター性を示したオープニングシークエンスだけでピッコロに強く感情移入できた。

この二つの要素は悟空やベジータは大きく欠如している。
彼らの自己鍛錬も己の力の限界の為の利己的なモノだし、自分の家族なんか放ったらかしだ。それゆえ基本的には地球のためとか、正義のためではないのでどうしても人間的な魅力が無いし、ヒューマンなドラマを作れない。それでよく今まで主人公できたなって感じだが、それは漫画やその映画化というハードルで許されていたと言える。なので今作の映画としての一定の完成度の高さを追求した場合、リストラされるのは当然の結果である。

敵役のレッドリボン軍も私個人的に好きな組織ということもあって興味深く見れた。
レッド総帥やドクターゲロの親族というのは安直な設定ではあるがワクワクできるのも事実。
ただ、この2人の会話は設定や経緯の説明ばかりでドラマ性が低く退屈なのが残念。内容としてはそれなりの興味を引くし、不必要とまでは言えないが面白味が無い。それは会話から2人の特筆すべきキャラクター性を感じないのもあるし、ユーモアの問題、2人の化学反応が無いことにあるかもしれない。とにかく単純に脚本段階での練り込み不足に思えた。まぁ鳥山明に魅力的な会話劇というのを求めるのが野暮ではあるが…。ここがもっと面白くなればマゼンタの悪役としての魅力、ヘドがヒーローとして覚醒した時のカタルシスは更に向上しただけに残念である。

悟飯の扱いはもうちょっと上手くできなかったのかなぁと、勿体無く思う。もちろん魔貫光殺砲はファン歓喜のサプライズだ(なんなら作品内でかめはめ波すら撃ってない衝撃)。
ただ、扱いが装置的過ぎるというか…。パンやピッコロのピンチをトリガーにパワーアップするのはベタで良い。特にパンのピンチはピッコロが悟飯の性格を理解しての行動で、セル編を彷彿とさせるユーモアあるオマージュだ。ただそれまでの悟飯のドラマに繋がりを感じないので怒って敵を倒す為だけに呼ばれた感が否めない。それなら別に悟空でも良い。勿論パンとピッコロは悟飯にとって特別なのだが、それを誰かに変えれば悟空やベジータでも代用できてしまうのも事実。
だから悟飯のドラマ、もう戦わない理由や彼なりの葛藤を描いていればクライマックスの魔貫光殺砲で悟飯のドラマとして綺麗に完結出来たと思う。大きなドラマとしての起承転結はドラゴボ映画にしては珍しく出来てるが、悟飯個人のドラマは起承が弱く、それが転結の脆さに繋がっている。

まぁ、その分の尺を悟空とベジータとの戦いを削除して描いていれば完璧だった…。あのシーン本筋と全く関係無いからね。ベジータ好きだけどあの一連のシークエンスめっちゃ退屈だった…。彼らが蚊帳の外だとしても出さないとファンが許さない?という構造にシリーズの欠陥が見て取れる。
どういう形であれベジータが悟空に勝利するサプライズもオマケ要素じゃなく、それをメインとして単作にして欲しいものだ。

ガンマ1号、2号も悪く無いけど描写不足なのが勿体無い。まず悟飯やピッコロと互角にするにはポッと出が過ぎる。せめてセル編やブウのデータを下地に…とかそれっぽい理由が欲しかった。
あとヒーローに対する固執や、ヴィランからヒーローになるドラマも彼らへの理解が足りない中で行われるので何勝手に盛り上がってんだ?ぐらいにしか思えなかった…。
観客はピッコロ目線で観てて、悟飯の活躍に期待してるのを差し置いて、縁もゆかりも無いキャラの改心をメインみたいにされても「いや知らんがな」みたいな…。
先述したヘドのキャラクター性の弱さもそうだが、もっと正義への異常な執着を描くべきだった。彼はドクターゲロを知らないと言ったが、それがそもそもキャラメイクとして間違っている。彼のヒーローへの固執はゲロへの悪行への反発まで掘り下げるべきだ。その結果行き過ぎた正義への固執が悪へと変わればヘドやガンマの悪役としてのポジションも分かりやすいし、改心するドラマへの納得感に繋がる。しかし結局ヘドが正義のヒーローに固執する理由がフワッとしているからガンマの自己犠牲の納得感やカタルシスが弱まってしまっている。
鳥山明も新キャラの方が作品へのモチベーションを維持できるのは分かるのだが、それとファンが求めるものの齟齬があったのは確かだと思う。
ヴィランのドラマの帰結は確かに必要だがそれはあくまで大きなドラマの脇でよくて、それを作品の軸にするには描き方が中途半端だった。

セルマックスも悪く無いがただ暴れ回る存在だけでしかないのは勿体無い。対決する相手にはそれなりの人間ドラマがあるのに、セルマックにはドラマが無く、彼らにも個人的な執着が無いので折角の戦いが盛り上がらない。
どうせならパーフェクトセルのような理性があるキャラにすべきだった。そうすれば自ずと悟飯とのリベンジマッチになりセルのモチベーションは明白になり対立構造としても分かりやすい。もしくはドクターゲロの意思が宿っているとかにすればそれに反発するヘドのヒーロー性がより強調された。
セルが第二形態であることから相変わらずの鳥山明の逆張りが見て取れるが、その変なこだわりのせいでドラマが中途半端になったのは非常に勿体無い。悟空とベジータは明らかに邪魔だが客演としてギリギリ許容できなくもないが、メインヴィランのセルがドラマの蚊帳の外なのは頂けない。

パンが可愛かったのは良かった。コミカルな役割が物語の緩急にも貢献していた。中の人(ビーデル)の魅力も健在だった。
チライが前作より可愛かったのも意外。多分CG表現との相性が良かったのだろう。

あと文句ではないが細かいツッコミポイントとしては、ピッコロが神龍にパワーアップしてもらうのはどうなんだ?普通に修行の成果とかでよくないか?そのために修行してたのでは?
ピッコロが潜入捜査するの全然ドラゴボっぽくなくて草。でも映画としては成立してたというか、普通に他の映画から取り入れた良い異物だったと思う。その行動が許されるのもピッコロがギリギリのライン。何にしてもピッコロがMVPで間違いない。
ガンマ二人の声はちょっと苦手。レジェンド声優が跋扈する世界に現代的なイケボは馴染んでない。
最初はCGちょっと違和感あったけど、途中から気にならなくなった。ただ、一部キャラを二次元絵にして製作費抑えるのは単純に見栄え悪いから感心しません。

細かい粗は多少気になるが、過去のドラゴボ映画と比べたら格段にしっかりして“映画”に仕上がってので大満足です。ただ、それを主人公で出来ないのがなぁ…とは思う。悟空が一番世捨て人だから仕方ないというか…それを良しとした製作側の問題とも言えるけど。
ようやく万年痴呆の鳥山明が良い脚本捻り出したと思ったら亡くなられて非常に残念。今作の出来なら次作には大きな期待が持てたのに。
鳥山明が亡くなってもおそらくシリーズは続くでしょう。今後も変わりなくファンとして楽しませてもらいます。
鳥山明先生、いままでお疲れ様でした🙏





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悟飯の魔貫光殺砲にちゃんと伏線を貼るなら、悟飯と戦闘、二つの理由(ドラマ)が必要。

悟飯側の理由は彼が魔貫光殺砲を過去に会得していたことを伏線として貼る。
まずパンの修行パートで、ピッコロに魔貫光殺砲を教えて欲しいとねだる。当然ピッコロはまだ早いと言うし、そもそも何で知ってるのか尋ねる。パンは悟飯が若い頃に教えて貰った事を言う、それに対してピッコロは教えたが会得したかは知らない、それに最近の悟飯は貧弱になった…で悟飯に場面を移す。

戦闘の理由としてはセルにかめはめ波が効かない。セル編で受けた親子かめはめ波を学習してて無効化する。
その対抗手段として昔会得した魔貫光殺砲にて倒す。

最低でもこれぐらいの魔貫光殺砲を撃つことに対する納得感の下地があれば、もっとエモーショナルな結果になったと思う。
磔刑

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