耶馬英彦

バーナデット ママは行方不明の耶馬英彦のレビュー・感想・評価

4.0
 ケイト・ブランシェット演じるバーナデット・フォックスと夫のエルジー・フォックス。一見自由な夫婦のように見えるが、実はここにもパターナリズムが存在する。エルジーと、彼が依頼したセラピストだ。夫もセラピストも、バーナデットの精神状態を病気と決めつけて、精神病院への入院をすすめる。パターナリストお得意の「あなたのためだ」という言葉でバーナデットを束縛しようとするのだ。
 実はもうひとりセラピストが登場する。バーナデットの古い知り合いで、ローレンス・フィッシュバーンが演じるポールだ。こちらは本職のセラピストではないようだが、バーナデットを自由に語らせ、思いをすべて吐き出すまで聞き出すことで、バーナデットが抱える問題の本質を的確に見抜く。バーナデットがネガティブになってしまうのは、天才の創造性が抑えつけられ、日常の煩わしさに縛り付けられているからだ。創作欲を解き放ってしまえば、建築家の精神は自由に羽根を伸ばし、他人とも上手くやっていけるようになる。
 このふたつのセラピーの場面は交互のシーンになっていて、本作品のテーマを明確に語っている。他人を個人として個別に理解しようとせず、パターンに当てはめて判断しようとすると、大いなる誤解を生んでしまう。バーナデットをお高く止まっていると非難する隣人も同じで、素顔のバーナデットに触れると、自分の誤解に気づく。

 エマ・ネルソンが演じた娘のビーは、母を最もよく理解しているひとりだ。頭がよくて、母親を非難する人々のパターナリズムがどんなものか、よくわかっている。スーパークールな娘なのだ。
 ビーが子どもたちの踊りに象の振り付けをしたと母に報告するから、どんな曲で踊るのかと思っていたら、エッセイ「パイプのけむり」で有名な日本の音楽家團伊玖磨が作曲した「ぞうさん」だった。
 梶井基次郎が「檸檬」に書いたように、人間は精神が弱ってくると、些細なことに感動する。「ぞうさん」に感動したバーナデットの精神は、ほぼ壊滅状態だった。

 ケイト・ブランシェットは2022年製作の「TAR」の指揮者の役もそうだったが、こういう繊細な役柄をいとも簡単に演じているように見える。本作品は2019年の製作で「TAR」の3年前だが、この作品の経験が「TAR」に生かされているように感じた。
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