ベイビー

マトリックス レザレクションズのベイビーのレビュー・感想・評価

3.7
僕も前3部作が大好きだったんで、約18年ぶりに新作が上映されるとなれば、そりぁ観に行きますよ。やっぱりあの世界観は映画館で観たいですし…

でも、フィルマの総合スコアや前評判が低いのを知ってしまうと正直腰が重かったですね。従兄弟の結婚式に出席する時みたいに、その場を楽しもうなんていう期待は捨てて、義理で顔出しするくらいのつもりで映画館に向かいました。前作のファンとしてはあまり熱を上げず、そのくらいの期待値で鑑賞に挑んで丁度良かったと思います。

僕なりに前3部作をザックリ言い表すと、人間とAIとの戦いに於いて人間が勝てた最大の要因としては、人には"愛"があったから。"愛"はAIに理解できない概念です。真の"愛"こそが最強の力。人間であるネオは"愛"を信じる力があったからこそ「マトリックス」の世界でチート的に無双になれた。そして救世主になれた。という話だったと思っています。

上映から約20年が経ち、現実的にAIも進化し、ヴァーチャル技術も確立され、マーク・ザッカーバーグ氏も未来に向けてメタバースなる仮想空間の設計に尽力を注いでおられます。1999年に公開された「マトリックス」の世界観がいよいよ現実に近づこうとしているのです。

しかし、それより何よりこの20年で一番変わってしまったのは、ウォシャウスキー兄弟がウォシャウスキー姉妹になってしまったこと。兄弟揃って女性に転換してしまったこと。ジェンダーの意識や区別を無くしてしまったということです…

作中でメタ的に「リブート」という言葉が使われていましたが、ラナ・ウォシャウスキー監督の事も鑑み、一体この作品で何をリブートしたかったかを考えると、この「マトリックス」の世界に於ける"救世主"のあり方だったのではないかと考察できます。

先にもお話ししたとおり、前3部作は"愛"の力を得たネオが最強の"救世主"となりました。しかし"愛"は一人で得るものではありません。相手があってなるものです。その相手も同じ"愛"でペアリングされた者であれば、男女の垣根や特性に関係なく、トリニティーだって充分"救世主"になり得る存在だと考えられるのではないでしょうか。

この新たな「マトリックス」の世界の中で、ネオはトーマス・アンダーソンとして、デウス・エクス・マキナという会社で「バイナリー」という新作ゲームの開発をしています。

「デウス・エクス・マキナ」とは「機械仕掛けの神」という意味で、古代ギリシアの演劇においての演出技法の一つであり、劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語を収束させるという手法を指した(wiki調べ)。とされています。まさに今作のラストそのまんまですよね。

そして「バイナリー」とは、コンピュータ用語としてデータが「0」と「1」で表現されているデータ形式のこと。つまりは"二進法"。

YESかNO、善と悪、光と影、現実と仮想、男と女、赤いカプセルか青カプセル…

「マトリックス」の世界で用いられる二者択一の選択。しかし現実、特に現代では多種多様な考え方でなければなりません。システム内に於いて異物であるスミスは多様性の象徴だとも言えます。

救世主にジェンダーの垣根なんて無くたっていい。現実と仮想の狭間なんて作らなくていい。きっと今作で表現したかった20年越しのリブートとは、ウォシャウスキー監督自身の変化と共に、そういった時代の変化に伴った価値観。人間の意識がアップデートされた姿を示したかったのではないでしょうか。

しかし、あまりにも過去の映像使い過ぎ、話が回りくど過ぎ、真新しいアクションなさ過ぎで少し残念に思える作品でした。わざわざIMAXで観る必要ないくらいに…
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